生きてるってなんだろ

今日もまた、僕の提唱する5月末から6月初の日曜は素晴らしいという説に相応しい好天である、これが来週の父の日になると、もう暑くてかなわんか梅雨入りしてるかのどちらかだ。
▼さて、遅まきながらGWレポート後編である。2日の午後の新幹線で西に向かう。これがもう少し遅れると、1日、2日出勤(僕もだけど)の人たちの帰省ラッシュに巻き込まれて大変なことになる。やはり暦通りの出勤で退社した友人と待ち合わせ駅ナカで前夜祭。

ごまさばにゴボテンサラダ、辛子レンコン、シメの焼きラーと選んでるつもりはないのにつまみにローカルが色濃く出るから不思議だ。
▼サクッと飲んで別れソープ街のど真ん中の格安ホテルで一泊。夜は呼び込みが怖くて写真とれなかったが朝はパチリ。

お店の通り向かいでしばらく彼氏らしき男と話し込んでいたスウェット姿の女がおもむろに道路を横切り店の奥に消えていった。店に横づけにされたワゴン車がリネンを交換している。ここにはここの朝の風景がある。
▼さて帰省初日のイベントは友人の裏山でタケノコ掘りだ。こちらにいた頃はたのみこんでも渋々という感じだったのに向こうから誘ってくれるなんてどういう風の吹き回しだろう。

友人の山はカルスト台地に連なる岩山で、かたい石を穿って根を張るせいか足腰のしっかりした硬くて大きなタケノコが獲れる。けして育ち過ぎではない。これが野趣あふれる食感でとてもうまいのだ。


▼二人で9本掘って全部くれるのかと思ったら半分以下の4本。彼はけしてセコイ男ではないが、妙なバランス感覚がある。少なくとも見栄っ張りではない。思えばこれが常識なのかもしれない。今回帰省したのは老親が心配なこともあるが、会社を辞めるという彼の話をじかに聞きたいというのもあった。「リタイアが人より10年早いだけ」と言うが、きっとしっかりした目算があるのだろう。
▼2日目は友人の愛車サーフでドライブ。霊峰英彦山に登る。

高校の入学合宿で行ったはずだが全く記憶にない。管理者養成学校の富士山合宿のようなものだが、この手の脅し透かしの通過儀礼はホント子供だましでシラケる。一年後輩の国会議員の地元だけにそこら中に看板が出ている。高校の頃はやんちゃでどうしようもない奴だったが、今や押しも押されぬ大センセイだ。やはり人は定められた運命を生きるというほかはない。お行儀や学校の成績のよしあしなんてたかが知れている。
▼最終日はこのあたりの観光スポットナンバーワンであり、夜なら函館、神戸と並ぶ日本三大夜景に数えられる皿倉山に登る。

地元でありながら一度も登ったことがないのだからどうかしている。インスタグラムをやってなければ、きっと今回も実家でダラダラ過ごしただけだっただろう。インスタを始めて多少アクティブになったことは確かだ。

皿倉山を降りて周囲を少し散策した。新日鉄遊休地を利用したスペースワールドも近く閉園するらしい。

なんでも批判的な見方をすればそのように見える。だからといって試み自体が全くの無意味だったということにはならないだろう。1990の開園から実に四半世紀以上の時が経過しているのだ。計画して、やってみて、成功することもあれば失敗することもある。それが人生だ。それは個人も法人も同じだろう。やってもやらなくても時は過ぎる。

▼三日間の滞在中、もうひとつの目的である下の子の専門学校の候補を一日一校ずつ見て回った。両親は相変わらずだ。少しずつ、確実に老いている。特に勧めたわけでもないのに、割りと自然に下の子が高校を卒業すると同時に妻ともどもUターンする流れになりつつあるのはいいことだと思う。



▼現場の向かいの家がお花の無人販売をしているので、空き缶に百円玉を入れて一束ずつ買って花瓶にさして事務所に飾っている。花の種類からして皆目わからないし、茎を斜めに切ると水をよく吸うというようなところからのスタートだ。


ガーベラとストック。普通にやれば一週間以上もつ。それどころか買ってきて茎を切り花瓶にさすと、差したその日は買った当初よりむしろハリが戻るのがよくわかる。


▼学生時代以来およそ30年ぶりに伊藤比呂美を読んだ。「切腹考」といういささか穏当でないタイトルである。

切腹したら人はもちろん死ぬ。しかしそれはどこからがデッドでどこまでがアライブなのか。腹に刃をたてた時点で再び生に戻ることはできない。だがまだ息はある。一方で昔の侍にとって主命は絶対で抗することはできない。切腹が決定した時点で彼にとって死は不可塑なものだ。それはもう死んだも同然ではないか。
▼一週間に一度花を替えながら、そんなことを考えていた。この花もまた、根から切り離された時点で生きながらえることはできない。しかし我々が花を花として意識するのはそこからだ。根がついているうちは花というより園芸といった方がいい。通常はそこから萎れるまで一週間はもつ。萎れてからも完全に枯れ果てるまではもっと時間がかかる。根がついたまま枯れることもある。
▼「マーマイトの小瓶」と「ダフォディル」が特にいい。僕が学生の頃、伊藤比呂美高橋源一郎の妹分と言われた才気溢れる詩人だった。当時の旦那さんと熊本に移住して子供をもうけ、別れて子供を連れてアメリカに渡り、そこでまた新しい伴侶を得た。今彼女は還暦を迎え、自分と同じ年の頃の夫の前の妻との娘といっしょに夫を送り出そうとしている。その辺の顛末も書かれている。
▼彼女が東欧で同棲していた前の旦那さんの強い文学的影響下で、熊本で汗だくになってセックスと子育てに奮闘していたちょうど同じ頃、その同じ黒髪町で、僕は友人の下宿に夏中居候して熊大生でもないのにせっせと柔道場に通い汗だくになって練習していたのだと思うと不思議な気がする。あれから四半世紀。僕は一度も日本を離れずこの国でのほほんと時を浪費してきた。この間彼女が自分らしく生きるために日本を離れざるをえなかったことを考えれば、僕が鈍感で酷薄な典型的な日本人であることは疑いえない。

二十七回忌

雲一つない晴天なのに驚くほど涼しい。陽射しは強烈だが室内はむしろ寒いくらいだ。梅雨入り直前の5月末から6月初にかけての日曜日は、奇跡的に気持ちのいい日になることがある。今日はまさにそんな日和だ。これを野球日和と言わずして何と言おう。
▼4月17日以来の更新である。この間GWがあり、前半には大阪から友人が遊びに来て、後半は昨年に引き続き実家に帰省した。普段よりブログネタには困らなかったはずだが、やはり更新するまでには至らなかった。ブログ開設当初は毎日、つい先年まではネタがないとこぼしつつも三日に一度は更新していたのだから、こういうことは外界のトピックの多寡ではなくこちら側のモチベーションの問題だ。とはいえせっかくだから駆け足で振り返っておこう。
▼期初の大型連休であるGWは比較的休みがとりやすい。例年少なくとも後半は休めるので、震災前まではお祭りに参加し、震災後はお祭りをやめて妻とあちこち出かけていたが、昨年は妻といっしょに帰省した。今年は一昨年父親を亡くして以来隔月で帰省している妻とスケジュールが合わず単身での帰省となった。今や連休ときいて真っ先に考えるのは帰省のことである。
▼前半は大阪から友人が訪ねてくれた。こちらが遊びに行くときはいつも泊めてもらうのだが、生憎我が家は狭い仮住まい。二泊三日のベースは駅前のホテルになった。チェックイン後すぐにつけ麺屋で乾杯。時間が早くて目ぼしい店はまだ開いてないが待ちきれない。

その後近場の観光スポットを回るつもりが俄雨の雨宿り。ろくにお腹がすかないまま本命のとんかつ屋に入店となるも、これが想像以上にうまかった。

▼今や日本中食べられないものはないが、注意してみれば各地で食文化に違いはある。海産物の豊富な沿岸部と内陸の違いはもちろん、同じ肉食でも例えば博多の水炊き、大分のカラアゲに代表される北部九州は鶏肉文化。当地は豚肉文化だと思う。比較的焼鳥屋が少なくとんかつ屋が多い。その豚肉王国でナンバーワンの呼び声が高い名店である。日本一と言っても過言ではないかもしれない。食い倒れの街大阪に住む友人も大満足だ。
▼明るいうちからすっかりできあがってホテルの部屋で寅さん見て小休止した後再び出陣。連休初日、お祭り前夜の街はある種の期待感に満ちている。僕はひと月ぶり、友人は十数年ぶりに旧知のバーを訪れる。バーもママも十数年来変わらないが、友人は随分変わった気がする。でも気づかないだけでママはもちろんその晩店にいた全ての客の上にも等しく同じ時間が流れているはずだ。

休憩を挟んだとはいえ三軒目。初日はこれで打ち止めのはずが小腹がすいて〆のつけ麺。僕はつい最近までつけ麺を食べたことがなかった。何事も年をとってハマると抑制がきかない。

▼二日目は10時にホテルで友人をひろって一路焼津のおさかなセンターへ。雲一つない絶好のドライブ日和だ。ここは家族で一度、友人と二度来ているオススメスポット。GWとあって大混雑が予想されたが僕らが通された直後に長蛇の列。運がいい。運転の僕はアルコールフリーだが休日気分を満喫するには十分である。

大食堂で食事した後市場を回るもマグロとカツオの二枚看板のうちカツオが見当たらない。ようやく見つけた一匹には四千円の高値がついている。ホントに不漁なんだな。
▼温泉施設に寄って汗を流し、帰途川沿いのカフェに立ち寄る。ちょうど出てきたマスターが言うには、だいぶ日が傾いたというのに今の今まで一服する間もない盛況だったという。やっぱり僕らは運がいい。

街中に戻って二日目のメインは焼肉。ここは厚さ1センチの牛タンがウリ。東北土産にもらった名物の仙台牛タンよりずっと厚い。普通の焼肉屋のペラペラのタンとは全く違う食べ物と言っていい。接待で使う店とはいえ僕もそう頻繁に食べられるものではない。二人で最上級のタンをタン能した。ナンチャッテ。





▼最終日はデイキャンプ。うちから持参するのは折り畳み椅子とカセットコンロのみ。ホテルで友人をひろって百均で包丁、まな板、食器などを購入。スーパーで飲み物と食材を調達していざ海沿いのキャンプ場へ。箱でもらった沖縄のもずくも持っていく。数年前は下の子と小一時間でバケツ一杯とれたアサリは現地調達するつもりだったが全くとれない。不漁は深刻だ。


▼予定していたキャンプ料理のうちアサリが中止のほかは、カツオ刺しにもずくソーメン、もずくチャンプルーに缶詰のタイカレーで〆る。



スタートこそ小雨がパラついたもののじきに晴れ間ものぞきキャンプ日和に恵まれた。水風船キャッチボール、とれなかったけど潮干狩と束の間二人で童心に帰って遊んだ。ストレスフルな職業の彼は少しでも気晴らしになっただろうか。


▼だいぶ陽が傾いてきた。第84回東京優駿も終わったようだ。午前中は本を読んだりウトウトしたり。今日の日曜美術館東京都美術館で開催中のブリューゲル展。今回の目玉は「バベルの塔」らしいが、27年前に国立西洋美術館で催されたブリューゲル展の目玉は「干草の収穫」だった。僕の下宿の部屋には、そのレプリカが飾られていた。
▼テレビ桟敷の東京六大学野球、春の早慶戦も大詰めを迎えている。早慶戦はいつ見ても息詰る熱戦になる。この試合に優勝のかかる慶應はともかく、四位の早稲田のモチベーションはどこからくるのだろう。この試合も逆転につぐ逆転の好ゲームだ。ああ27年前のあの日がこんな打撃戦だったらなあ。ただ喜びも悲しみも悔恨もなにもかも、時の経過と共に淡いものになりつつあることだけは間違いない。27年前の今日もこんな奇跡のような日和だった。応援部の同窓もまだ存命だった。人は忘れないために同じ儀式を繰り返す。そして苦しみを忘れるために同じ儀式を繰り返す。


27年前の今日、確かに僕はこの中にいた。GW後編はまた次回!

インスタ入門

昼頃落ちてきた雨はすぐに本降りとなった。その後も雨勢は強まるばかり。怖いほどの大雨である。季節はずれの桜もこの雨風でおしまいだろう。
▼新年度になって瞬く間に二週間が過ぎた。年度末工事と大型物件の間でこのところの週末は連休だったが、生憎の雨に祟られた。月初の土日は妻が帰省していたこともあって終日自宅でゴロゴロ。ヒマなので自炊ばかりしていた。


▼妻が戻ってきた二週目の日曜は午後からようやく雨があがり夫婦で花見に出かけた。今ではそれが当たり前だが、みんなスマホをかざして写真を撮っている。スマホをもっていない人はウオーキングかジョギングで花には見向きもしない。ただ花を見ている人を探すのが難しい。

▼この時期インスタグラムも様々な桜の写真が百花繚乱だ。満開の桜並木を撮ればなんでも様になりそうなものだが、これがなかなかうまくいかない。それは僕だけでなくたいていの写真がそうで、これはと思うものは意外に少ない。桜の写真は主に全景、下から見上げたところ、小枝(花)のドアップ、花びらの絨毯の四つに大別される。
▼漫然と桜だけを撮っていたのでは、何枚撮ろうがこのどれかにしかならない。桜と何か。なんでもそうだが、その組合せの関係性に面白味がある。それが写真の背景であり、撮る人の背景でもある。いい写真にはストーリーがあるという。桜(花一般でも同じことだが)だけを写す行為には、桜(花)=美しいという固定観念、さらには美しいものが好きな自分(の心)は美しいという自分語りしか読み取れない。
▼それとは別のタイプで、眼前には満開の見事な桜があるのに何度シャッターを切ってもうまく撮れない。そういった嘆きはハイセンスなig利用者のキャプにもしばしば見られるものだ。今この瞬間、感じたままを切り取りたいけどうまくいかない。光は刻一刻と変化していく。人間の目はかなり高機能な上、さらに心の目が補正をかけるので、どんなにカメラの性能があがっても心の中のイマージュには永遠に追いつけない。
▼写真が上手いとは、この自分のイメージと実際の写真のギャップが少ない人と言えるかもしれない。ただそれがいい写真かどうかはまた別の話だ。写真を少しでもかじったことがある人とそうでない人に雲泥の差があるのは事実だ。だがいわゆるコンテスト入選作のようなきれいな写真が全てではない。そういう写真をきれいだと感じてしまうことも含めて感性の問題である。
▼写真のデキを左右するのは、まず被写体(素材、テーマ)、それから構図、明るさ(光)そして決定的瞬間(シャッターチャンス)だろうか。つまり何をどう撮るか。一般に写真の上手い下手は構図と光によると考えられているが、そんなのは技術の問題でどうにでもなる。僕の考えでは何を撮りたいかという大前提が重要だ。
▼例えば特に撮りたいものがなければ僕のようなルーチンの食事でも撮るしかない。それはきれいな桜(花)でも景色でも看板でも廃墟でも同じことだ。相手は動かないからシャッターチャンスもない。光や構図も対象に寄ったり引いたりするだけ。そうなるともう撮ること自体が自己目的化して、ほとんどインスタのために撮っているようなものだ。もちろんそこに映っているのは「こんな私ですけど」という自己言及だけである。
▼食卓や静物のインスタにもいいなと思うものはある。それはきれいなお花や(心象)風景のような漠然としたものではなく具体的な物の写真である。高価なものでなくていい。古い物。手垢のついた物。代々その家に伝わる物。他人にとってはガラクタでもその人にとって意味のある物。必ずしも陶磁器に限らない。メカニック好きのバイク、釣り好きのリール…これらの写真には自己愛でなく対象への愛が感じられる。
▼雨の週末は積読の文庫本を読んでいた。石原千秋の「漱石入門」。なんとなく既読感がある。漱石好きが高じて石原千秋小森陽一あたりは手当たり次第乱読したので、これも単行本に加筆修正してタイトルをかえて文庫化したものかもしれない。いずれにしろ巻末の注釈を一章ズレて参照していても気づかない程度の意識レベルの低い暇潰しの読書である。
▼インスタグラムからは本当にいろんなことを考えさせられる。石原千秋の趣味とハビトゥス(慣習)の論考も、初めて読んだわけではないが、今回は身に染みてよくわかった。「こうした趣味は<家>の中で長い時間をかけてほとんど無意識のうちに形成され継承される血肉化した慣習なのである…」これは学んで得られる知識ではないのだ。
▼僕は無知なわけではない。けれども「知ってますよ」というコメントに意味がないことは、インスタグラムがSNSだからこそ反応が芳しくないことでよくわかる。書画骨董の世界は、実際に蒐集し売り買いすることによって手元に置いている人の間にだけ通用する趣味なのだ。実際に寄席や劇場に足を運ぶほかはない落語や歌舞伎などの伝統芸能も似たところがある。僕がいいなと思うのは、そのような趣味人の写真なのである。
▼合宿中の朝食。趣味のいい器どころか食器を使っていない。



昼食は安くて量のある丼モノ。



ヒマすぎて自炊した夕食。このあたりがかろうじて僕の世界だろうか。



妻が帰ると食卓が明るくなる。


生まれ変わって

昨日はわりとしっかり雨が降った。古い年度の残滓を洗い流すような本降りの雨だった。今日から新年度。冷たい雨が一日残って随分寒かった。年度末の喧騒もようやく一段落ついて、今日明日と久しぶりの連休である。生憎の花冷え×花曇りではあるが、この時期らしい天気ではある。この二日でしっかり気持ちを切り替えて、来るべき試練に備えよう。
▼昨日は創設以来二回目のプレミアムフライデーということで早々に帰る気満々だったが、ホワイトボードに「プレミアムフライデー15時退社」と大書きされたゼネコンの事務所で定時過ぎまで来期工事の打合せ。年度末の決算日に15時終業は無理というものでしょう。3月31日と4月1日の間に何日か日付のない空白の日があるなら別だけど。
▼打ち合わせ後、車を街の立駐に停めて映画鑑賞。

北欧映画「幸せなひとりぼっち」。妻が帰省しておうち合宿中の僕にはタイムリーなタイトルだ。愛妻を亡くした頑迷な老人が、隣人とのふれあいを通して次第に心を開いていくというもの。この手の話はパターンが決まっていて新味に欠けるが、回想シーンに出てくる奥さん役の女優が素晴らしい。主人公が妻以外の人間はみんなバカだと思うのも無理はない。
▼しかしこれこそが、つれあいに先立たれた独居老人のみならず、典型的なストーカーの心理だと思うといささかゾッとしないでもない。隣りに越してきた狂言回しのイラン人女性が主人公に言う。「奥さんのもの整理しないとね。これじゃ神様だもん。人間に戻してあげないと。彼女も戻りたがってるよ」。半世紀前、最愛の彼女にフラれて毎日泣いていた僕に弟はこう言ったもんだ。「女性を上に見たら恋愛はうまくいかないんじゃないかな」
▼さて、この地球上で唯一僕のことを理解してくれる聡明で美しい妻(笑)が先週から実家に帰っているので、ただいま合宿中である。今ちょうど帰省して一週間の道半ば。まだまだ道程は遠い。朝は作り置きのカレーとタッパで保存されたハヤシでやり過ごしていたものの、すぐに底をついてカップ麺とレンジでごはんの日々になってしまった。





昼はいつもの製麺所直営店か担当事業所横の中華屋か牛丼チェーン。インスタグラムのフォロワーに、炭水化物と塩分の摂りすぎとの指摘を受けてしまった。



▼妻不在初日の土曜は今期工事の打ち上げ。忙しい下半期の間を通して応援に来てくれていた監督と一日だけ応援に来た監督と三人で焼鳥屋からスタート。

優秀な人とそうでない人はすぐにわかるものだ。そして社内外にかかわらず誰もがそのことを正確に理解している。知らぬは本人ばかりなり。今までもこれからもない。人の評価はとっくに定まっている。普段はおくびにも出さないが、アルコールが入って舌が軽くなるとそれが漏れ出てくる。
▼二軒目、三軒目も僕のテリトリーに案内。大竹しのぶママと高橋真梨子ママの店。オバサンばかりで申し訳ないね。


翌日曜は例によって僕だけ出勤。久々の二日酔いと寒さでかなりつらかった。その晩はスンドゥブチケで暖をとりつつ胃を活性化したよ。

その他の夜はこんな感じのおうち居酒屋。



▼先日関西で行動を共にした友人が、出国前の空港から電話をかけてきた。唐突に漱石の「坑夫」は面白いかときいてくる。あんまりオススメできないなと答えながら、ふと漱石の小説のテーマって結局のところミスマッチのことなんじゃないかと思った。坑夫とは今でいえば僕がいっしょに働いている建設労働者のことである。ただ一日が過ぎればいい、帰って一杯やることだけを考えている、そういう人がほとんどだ。でも漱石の「坑夫」はそうじゃない。それはいいことなのか悪いことなのか。
▼どうやら漱石はそれを「罪」という概念でとらえていたようだ。自身の小説の主人公たちにも明確に罪の意識を持たせている。ある種アダムとイブの原罪にも通じるが、単に近代的自我とか自意識とか知らない方が幸せとかいうより、もっと因縁めいたもののような気がする。そんなことをつらつらと思いながら一人寝の夜は更けてゆくのであった。
▼妻帰省前のお弁当。




そしてウチゴハン





最後に焼菓子。

不思議発見

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、ここのところ日中はすっかり春の陽気である。インスタグラムの投稿も今は白木蓮がピーク。早咲きの桜もチラホラ見える。年々に春の訪れ方も違う。今年は季節の足取りがゆっくりだ。三寒四温というより漸次的に少しずつ近づいてくる感じ。
▼初年度はほぼ毎日、二年目からも三日とおかず更新してきた当ブログも昨年あたりから間隔があき始め、今年はついに半月に一度のペースになってしまった。ちょうど二十四節気毎。僕の毎日が季節の変化くらいしか代わり映えしないことの証拠だ。年度末工事もようやく先が見えてきた。春の訪れとともにこれから更新頻度もあげていきたいところだが。
▼過日、共通の友人の帰国日程に合わせ、三か月ぶりに大阪の友人のところに遊びに行ってきた。

毎度終業後の新幹線に飛び乗り翌日の始発で戻る強行軍だが、今回は日曜出勤の代休を利用して隣県兵庫の友人宅にも足を伸ばした。隣県といっても大阪から二時間以上かかる。距離的にはともかく時間的にはうちから大坂までより遠い。朝大阪を発ち昼前に到着、会食後夕方には帰途につく強行軍には違いない。
▼本当はみんなそろって会えればよかったのだが、アラフィフの大人四人の都合を合わせるのは本当に難しい。大阪の友人は月曜のみ、僕と兵庫の友人は火曜しか休めず、結局年長の二人が年少の二人を順番に訪ねる形になった。もっとも帰国中の友人だけはゆっくりで、僕が帰ったあとも先週いっぱい兵庫にとどまったらしい。
▼男同士が集まっても何をするでもない。キャッチボールかフリスビーでもやろうかという意見もあったが、結局ひたすら飲み食い。大阪ではお好み焼きで乾杯し、大衆居酒屋で日本酒をがぶ飲みした後つけ麺でシメ、最後に友人宅で奥さんを交え歓談。奥さん、いつも男の都合で急に押しかけてスイマセン。




▼翌朝大阪駅から高速バスで山奥のログハウスを目指す。バスの中では高校以来の友人が、これから行くところの名所について解説してくれる。多々良木ダムという東洋一のダムがあって、原発と連動しているという。何が東洋一なのかよくわからない説明だ。親切だが要領を得ない。彼はそういう男だ。

▼友人宅は基本山奥だが、家までの道中に寄った魚屋のいけすは松葉ガニだらけで、ホタルイカの品揃えが充実しているところをみると、ここが日本海食文化圏に属することがわかる。生ガキと活サザエと活ナマコとホタルイカの干物をゲット。あと肉屋と道の駅とスーパーに寄って肉、野菜、飲み物を調達した。僕らをもてなしたいという気持ちはわかるが、さらに温泉施設に立ち寄るとたちまち時間がなくなった。
▼今回のメンバーは、年少の二人がまだ結婚する前に、高校来の親友の家族と、そのお姉さん一家、それに僕の家族といっしょにキャンプに行ったことがある。兵庫の彼は、その時初めて僕らの前に奥さんになる人を連れてきた。彼女とはその時以来15年ぶりである。


▼友人が手際よく買ってきたナマコをさばき、七輪でカキとサザエとホルモンを焼く。


その間に奥さんがアルバムを出してきた。15年前のキャンプのものだ。高校の友人は50になった今も全く変わっていない。まあ男たちはみな似たリよったりだ。あまり成長がない。子供たちだけが大きくなっている。お姉さんとこは二人とも成人し、一人は結婚している。うちも上は成人、下の子と親友の娘さんはこの春から高校三年生だ。
▼すると写真の中に見たことのない女性がいる。一見ゆりやんレトリィバァに似ていると思ったが知らない女だ。だが消去法でいけば妻以外ありえない。写真は恐ろしい。友人の奥さんには妻はこんな風に見えているのだろうか。ふとNHKのコント番組LIFEの「カメラ写り」を思い出した。実物は塚地なのに、スマホの画面を通すと石橋安奈ちゃんに見えるという爆笑コントである。
▼少し不安になったが、うちに帰ると僕のよく知っているいつもの妻が出てきたのでホッとした。美人かどうかはみなさんのご想像にお任せします。




最後の鍋とシメの日々。



この間の外食。粉もん率高い。外食率そのものも高い。






この間のウチゴハン。これだけが楽しみ。


この間の手作りデザート。妻は最近低糖質ダイエットに憑かれていて甘味が足りない。




そしてこの間のお弁当。ほとんど同じなので割愛。

奥さんが帰りに自家製パンを持たせてくれた。彼が長い彷徨の末に獲得した生活が垣間見えた旅だった。

啓蟄

日中は随分暖かくなってきた。明日は雨の予報だ。こんなことを交互にやられちゃあツクシやタケノコでなくても顔を出したくなるってもんだ。梅一色だったインスタグラムも南の方から白木蓮のポストがちらほら見え始めた。春はすぐそこだ。
▼相変わらず年度末工事の多忙な日々が続く。年々収束が早くなっているので今年は2月でだいたいだと思っていたら、結局3月もぎりぎりまでパンパン。さらに塩漬けの大型物件が急に動き始め、どうやら4月も一息つけそうにない。けど普通の仕事にシーズンオフなんてないだろう。みんなどうやって心の平静を保っているのかな。僕はここらが限界だ。
▼毎晩遅い上の子がほぼ一週間帰ってこなかったので心配していたら、大型商業施設の改装工事で夜勤だったらしい。僕も過去に同じ施設で夜間工事を担当したことがある。四十前後の頃だ。今、自分の子供が二十歳で同じことをしていることについて、ずっと以前に似たような感慨にとらわれたことを思い出した。
▼今から15年ほど前、僕は妻の友人の父親が経営している豆腐工場で働いていた。豆腐は言うまでもなく生鮮食品である。生鮮食品は鮮度が命。つまりその日に売る分をその日の朝作る。工場の大量生産ともなれば、早朝がもっと早くなって夜勤になるわけだ。話がそれかけている。
▼豆腐工場の夜勤で働いているのはどういう人だろう。正社員は全体管理の一名のみ。あとはパートか契約社員である。女性の方が多いが、男性は二足のわらじをはいている人が多い。豆腐専業の契約社員は一度事業を失敗したとか、あるいは定年退職したとか、いずれにしろ第一の人生を終えた人たちだった。
▼パートはお年寄りか母子。たまに学生のバイトが混ざる。何年も留年しているようなバイトくずれはともかく、時々短期で優秀な奴がやってきた。中に高校の後輩がいたので声をかけてみると、卒業と同時に海外留学して一時帰国中に滞在費を稼いでいるという。同じ進学校の非主流派でも単なるオチコボレの僕とはえらい違いだ。
▼どんな職業にもスキルはある。寄せはもちろんプレスやカットにはそれなりの習熟が必要だ。豆の仕込みからひろいまで全工程を管理する正社員は全てに通じていなければならない。「覚えが早い」という経営陣のおべんちゃらを真に受けていい気になっていた僕は、その時初めて自分のやっていることが、人生がこれから始まる人か、一度あがった人のやることだと悟ったのだ。
▼その前に都落ちして塾の講師をしていた時は、バイトの学生を従えて毎晩のように夜の街を練り歩いたものだ。当時の講師仲間とは今やひとりもつきあいがないが、バイトの学生の中には立派な社会人になって毎年年賀状を欠かさない律儀な奴もいる。当時彼らを子分扱いしていた僕は、彼らのことを前途ある学生のバイトだと正しく認識していただろうか。
▼さらにその前にエロ本を作っていた頃、SMビデオの女監督がよく言っていた。「俳優とか小説家めざしてドカタしてるって飲み屋でクダまいてる男いるでしょ。そーゆーのに言ってやるの。あんたの本質はドカタだよって」彼女とは随分親しくしていたが、都落ちした後はいくらハガキを書いても一度も返ってこなかった。ギョーカイを辞めた以上もう関係ない。彼女の方が人間関係についてよく理解していたことは言うまでもない。
▼僕は本当にオクレニイサンだとつくづく思う。普通の人が普通に理解できることを理解するのに今日までかかってしまった。僕は今建設業界で働いているが、たしかに作業員ではない。さりとてスカイツリーや超深度地下鉄を手掛ける技術者でもない。ちょっと気がきいていれば二十歳そこそこでも差配できる専門業者の番頭にすぎない。
▼あきらめるわけではないが僕はもう五十だ。それが自分の本質だと認めなければ本当に飲み屋のドカタみたいなことになってしまう。なんだか50年間ずっと土の中にいたような気がする。知らぬが仏である意味平和だったかもしれないが、そろそろ表に出て新鮮な空気を吸いたい気分だ。
▼この間のお弁当。










この間の鍋。下の子が味噌を嫌がるので似たような味付けになる。




この間のカレー系。


この間の外食。


この間のウチゴハン




雨水

昨日は雨模様の一日だった。来週は月曜と木曜に傘マークがついている。今日は二十四節気の雨水。気温はどうあれ、周期的に雨が降るようになれば季節が動き始めた証拠だ。
▼週初、何気なくテレビをザッピングしていると、懐かしい姿が見えた。往年の名馬オグリキャップである。今週のNHK「プロフェッショナル」の主役は人ではなく馬だった。オグリキャップの名前と共に、オグリにまつわるエピソードの記憶と共に、あの頃の匂いが不意に甦って不覚にも視界が曇った。
地方競馬笠松に葦毛の怪物がいるという噂を耳にしたのは、確か1987年のことだったと思う。大学3年の時のことだ。田舎者でオクレにいさんの僕は、空前の競馬ブームにも当然のことながら乗り遅れた。競馬だけでなく小劇場ブームにもバンドブームにも乗れなかった。大学のゼミにもディスコにもコンパサークルにもどこにも僕の居場所はなかった。
▼翌88年、鳴り物入り中央競馬に進出したオグリは、地方での勢いそのままに破竹の快進撃を続ける。僕は大学4年になっていた。ここまではまだオグリは、僕にとって数多あるうちのひとつのニュースにすぎない。オグリが僕の意識に初めてのぼるのは、オグリの怪物伝説を決定づけた激闘の89年秋シーズンも最終盤のジャパンカップ以降である。僕は留年していた。
▼その年の有馬記念で5着と初めて連対にも絡めず惨敗を喫したオグリに、輝きが戻ることはもうなかった。90年春シーズンで唯一2着に絡んだ宝塚記念も、デートした彼女が言うには「横向いて走ってた。ケガしてるんじゃないかな」ということだった。留年2年目のことだ。従って僕はオグリが本当に強かった時期の雄姿を直接見ていない。
オグリキャップの魅力はなんだろう。葦毛といってもオグリは地黒。ライバルタマモクロスの方が色白で美しい。ゴール前で目いっぱい伸ばし、鼻差の勝利をもぎとってきたその首も太くて短い。オグリが多くの人に愛された理由は、見た目の美しさではないだろう。ではやはり血統の壁を破って活躍したからだろうか。人はオグリに突然変異の夢を重ねたのだろうか。それもちょっと違う気がする。
▼競馬は血統に負うところが大きいと言われる。重賞を勝つような馬は、重賞を勝った優秀な産駒からしか出ない。あと距離適性。短距離馬の子供は短距離馬。長距離馬の子供は長距離馬。逆はない。人の場合も大概似たようなものだろう。オグリキャップの血統はけして優秀ではなかった。事実種牡馬として期待されたオグリの子供たちに活躍した馬はいない。
▼当時すっかり世を拗ねていた僕は、私淑していた苦学生の先輩に皮肉を込めて言ったことがある。「馬は血統が全てなんですって。(だからどうあがいたってムダですよ)」すると先輩は力むでもなくこう言った。「じゃあ僕は馬でなくてよかった」見栄っ張りの僕に比べ、特にプライドが高そうにも見えなかったが、彼の秘かな矜持に打たれた。
▼オグリを支持したのはこういう人たちだったんじゃないかと思う。世の中にいまさら地位や名誉を求めようとも思わないが、さりとてそれらを得ていないことを恥じる気持ちもない。なによりそれが運命だと決めつける意見には猛烈に反発する。ただ自分の人生を全力で生きるだけ。でもちょっとサビシイ。だから週末は競馬場でひいきの馬を応援する。勝っても負けてもオグリは全力でそれに応えてきた。
▼90年有馬記念の日、僕は後楽園の馬券売場で一点買いしたオグリの単勝馬券を握りしめ、弟の下宿で二人でラストランを見つめた。弟は馬券を買っていなかった。「もちろんオグリに勝ってもらいたいよ。でも馬券買うとどうしてもそういう興味で見ちゃうから…」サンスポの競馬コーナーでは高橋源一郎がオグリに◎でも▲でもなく♡というキュートな予想をしていた。僕以外の人はみんなまともだ。
▼その年の夏、最愛の彼女にフラれて5ヶ月泣きどおしだった僕も、オグリのラストランを見て自分の中で何かが少しだけ動き始めたような気がした。もう何も残っていないガランドウだと思っていたのに、人間案外しぶといものだ。年が明けて少し肉体労働した後、僕は大学をやめ、エロ本を作り始めた。
▼忙しいせいもあるがあっという間に日が経つ。この間のお弁当。











この間のカレー系。


この間のデザート系。プリンは上の子の彼女がバレンタインにくれた家族用。本人は手作りチョコだったらしい。ブラウニーは妻が焼いてくれた。最後のは東北みやげ。




この間の外食系。近所のお気に入りの蕎麦屋で僕は中華定食。妻は味噌煮込みうどん。


そして最後にこの間のウチゴハン