姉貴とよばせて

春に三日の晴れ間なし。ここ二日ほど好天に恵まれたが、明日から大荒れの予報である。爆弾低気圧ときき、確かに去年の今頃は雨が多かったような気がするが、今年はこれまでそんな印象はなかった。それはたまたま僕が住んでいる地域に、夜になってから雨がかかる周期だったからだろう。先日の雨風で早咲きの桜はみな散ってしまった。しかし日本の半分はこれからが見ごろである。このように客観的にはどうであれ、人は自分の感覚でしか物事を見れないものだ。
▼長らく夜なべ生活が続いていたが、新年度になって一週間が過ぎ、ようやく事務処理も片付いてきた。明日は年に二回とない土休。そして月曜出社を挟んで待望の火水連休である。早くも連休工事の足音が聞こえてきて、やることはいくらでもある。ホントは休んでなんかいられないくらいだ。だが休むなら今しかない。なにしろ下半期の半年間ノンストップで走り続けてきたのだ。たまには仕事のことを忘れて自分の楽しみに没頭するとしよう。
▼どうしても観たい映画がある。そのうち最低二本はこの休みのうちに観ておきたい。読みたいと思っていた本と、CDも何枚か買おう。それからブログもマメに更新しよう。どれも些細なことだ。やらないまま過ぎてしまっても表面的には大差ないだろう。でも無意識のレベルではダメージを負ってしまうような気がする。こんな気持ちになったのは初めてだ。
▼若いころはどこか無理していた。映画にしろ芝居にしろ読書にしろ心から観たい読みたいと思っていたわけじゃない。簡単にいえばカッコつけていただけだ。仏文演習の教授の「この夏は何を読みましたか?あなたにとって読書とはなんですか?」という質問に、僕はその辺のもどかしい気持ちを正直に吐露した。「今は課題のために無理して読んでいる気がする」誰に言われるでもなく、うちにあった芥川の「鼻」や「トロッコ」を繰り返し読んだ幼い頃のように、読書が自発的なものではなくなってしまった。
▼けれどもその教室で教授の質問にまともに答える学生の方が稀だった。バブルの真っ只中に、文学部の学生に本を読むヒマなどなかった。わずかにひとりの生徒が「この夏は渡辺淳一を中心に読みました」と答え、「渡辺淳一は中心にして読むような作家ですかね」と返されていたくらいだ。僕も全くの同感だが、その後の失楽園ブームやアイルケブームはご承知の通りである。世の中に受け入れられるものと自分の感覚が必ずしも一致しないことの典型である。
▼実際大学の授業はつまらなかった。あまりにつまらなくてもうすっかり忘れてしまったが、仏文科の学生全員が、何も中世の騎士道物語から学ぶ必要はないと思う。フランス語もままならないのに中世ロマンス語を原典で読むことに何か意味はあるのかな。ヴィヨンの詩からラファイエット夫人にたどりつくまでに、僕は学校に行かなくなってしまった。
スタンダールバルザックは自分で読んだ。フロベールだけは気に入ったが、ゴーゴリドストエフスキーの方がよっぽどおもしろかった。余談になるが、当時有名な演劇集団が、僕の大好きな「カラマーゾフ」を劇化したというので観にいったが、観るに耐える代物じゃなかった。バブル期に活躍して今は消えてしまった人はたくさんいる。その演劇人も今はどうしているのだろう。ホントにあの頃は芝居だとか女性だというだけでなんでも許される時代だったな。
▼さて、われらが山田詠美先生の「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」である。家族の突然の死に際し、どうしようもなく傷ついてしまう人々の物語である。人の死は、その人を本当に大切に思う人にとってしか意味をもたない。そのことがよくわかる小説だ。そういう意味での人の死を、僕はまだ体験していないかもしれない。
▼先生うますぎ。先生が黒人とセックスばっかりしてるなんて僕の勝手な思い込みでした。ごめんなさい。でも先生とそういう関係になろうという気にはなりません。だから姉貴とよばせてください。
火曜はそぼろごはんに、デザートはGODIVAのチョコレート。


水木は妻が風邪で寝込んでハヤシにカツ丼。写真もなし。

金曜はペンネにポテトサラダにスパイシーチキン。