僕らの国なんだぜ

雨を境に季節が進んだ。風が強い。真冬の到来だ。
▼国が沖縄県を訴えた裁判が始まった。親が子を訴えるようなものである。「沖縄県」ときいて違和感を覚えるのは僕だけだろうか。沖縄はどこまでいってもオキナワだ。日本の他のどの県にもそんな感じはしない。そのことが、とりもなおさず沖縄が日本の行政区としての「県」にそぐわないものを内包している証左だと思う。
▼翁長知事の主張は極めて明快だ。「全ての選挙で新基地建設に反対の民意が出ているのに基地建設が強行されるのであれば、日本に地方自治や民主主義は存在するのか」というもの。そしてこの疑問を「国民全てに問いたい」という。これを機会に日本国民全員が自分自身の胸に問いかけ、答えを出すべき問題だろう。
▼これに対し国は「知事の承認取消を認めれば普天間の危険が固定化され、日米の信頼関係が崩壊し、外交上、防衛上著しい不利益を被る」と主張する。菅官房長官は「民主国家の法的手続きに従っており瑕疵はない」というが、民意に反することを強行する民主国家というものが、僕にはうまく想像できない。
▼県は「国の主張は抽象的で具体的な論証がない」というが、僕もそう思う。自国民との信頼関係に優先する他国との信頼関係とは何か、外交上の不利益とは何か、防衛上の不利益とは何か、地方の犠牲の上に成り立つ公益とは何か、ひとつひとつ具体的に提示してもらいたい。
▼沖縄の不条理について政府から「日本は沖縄に限らず国土のいたるところに米軍が駐留する占領状態にあり、米国の意に反することなんてひとつとしてできない」という説明でもあれば、是非はともかく現状を理解することはできる。要するに日本は民主国家云々以前に独立国家かどうかも怪しいのだ。
▼Nスぺ新・映像の世紀「グレートファミリー新たな支配者〜超大国アメリカの出現」を見た。戦前までナショナルバンクを代行したモルガン家、死の商人で財をなしたデュポン家、大量生産を確立した自動車王フォード、GMを立ち上げた発明王エジソン、そして石油王ロックフェラー。2001年、そのロックフェラー家が建てたワールドトレードセンターがイスラムテロの標的となったのは偶然ではない。ツインタワーは中東の資源を搾取する資本主義の象徴なのだ。
▼大統領より力のある彼らの意志がアメリカの意志なら、彼らは歴史をも自分たちに都合のいいストーリーに書き換えたにちがいないとの疑念がわく。自分たちが富を独占できるシステム=資本主義を守るために自ら起こした戦争を「ファシズム共産主義から自由と正義を守る戦い」とするのは、イラク戦争まで続くアメリカ伝統の屁理屈だ。そして狭量の特許王が立志伝中の人物「発明王エジソン」になる。これが戦後我々に刷り込まれた歴史である。中韓反日教育より洗脳度はずっと上だ。
▼昨日は業界団体の忘年会。一次会の会場を出たところで雨が落ちてきた。二次会は大手の若い営業所長行きつけの店。昨年のこの会以来だが、相変わらずコスパの高い店だ。女のコの質は高い、数は多い、値段は安いのトリプルスリーだ。彼はもうこの店は卒業して新し行きつけがあるという。ここまでたどりつくまでにどれだけお金を落としたことだろう。本職の営業は別次元の世界にいる。
▼逆に三次会は質は低い、数は少ない、高いの三重苦の店。まあカワイイコがいたところでどうにかなるわけでなし、こんなことで一喜一憂しても仕方がない。二次会の店の美形もほとんどが母子。三次会の小卒のブスにいたっては生涯一度の結婚もかなうまい。彼女たちに基本的人権なんかない。生きていればもうけもんだ。
▼今日はめずらしく打合せも会議もゼロ。朝現場に顔を出した後、若い監督に任せて早退。一日うちでゴロゴロして英気を養う。対テロ戦で協調する各国首脳が必ず口にする「自由、民主主義、基本的人権、法の支配という共通の価値観」という言葉。自由といっても我々に許されているのはせいぜいこの程度だ。民主主義なんて聞いてあきれる。国と県の法廷闘争で司法がどんな判断を下すか見ものだ。
▼一時帰国した友人や年下の友人から共通の友人の精神状態がよくないと心配する電話が続く。僕も無関心というわけではないが、自分自身や老親のことさえままならないのだ。どうしたらいいんだろう。ふと、亡くなったおじいちゃんを見舞いに行った上の子のメールを思い出した。「今何してる?」との僕の問いに彼はこう返してきた。
「え?見守ってる」
見守るしかないのか。

今日はヨガカレー。