雨水

昨日は雨模様の一日だった。来週は月曜と木曜に傘マークがついている。今日は二十四節気の雨水。気温はどうあれ、周期的に雨が降るようになれば季節が動き始めた証拠だ。
▼週初、何気なくテレビをザッピングしていると、懐かしい姿が見えた。往年の名馬オグリキャップである。今週のNHK「プロフェッショナル」の主役は人ではなく馬だった。オグリキャップの名前と共に、オグリにまつわるエピソードの記憶と共に、あの頃の匂いが不意に甦って不覚にも視界が曇った。
地方競馬笠松に葦毛の怪物がいるという噂を耳にしたのは、確か1987年のことだったと思う。大学3年の時のことだ。田舎者でオクレにいさんの僕は、空前の競馬ブームにも当然のことながら乗り遅れた。競馬だけでなく小劇場ブームにもバンドブームにも乗れなかった。大学のゼミにもディスコにもコンパサークルにもどこにも僕の居場所はなかった。
▼翌88年、鳴り物入り中央競馬に進出したオグリは、地方での勢いそのままに破竹の快進撃を続ける。僕は大学4年になっていた。ここまではまだオグリは、僕にとって数多あるうちのひとつのニュースにすぎない。オグリが僕の意識に初めてのぼるのは、オグリの怪物伝説を決定づけた激闘の89年秋シーズンも最終盤のジャパンカップ以降である。僕は留年していた。
▼その年の有馬記念で5着と初めて連対にも絡めず惨敗を喫したオグリに、輝きが戻ることはもうなかった。90年春シーズンで唯一2着に絡んだ宝塚記念も、デートした彼女が言うには「横向いて走ってた。ケガしてるんじゃないかな」ということだった。留年2年目のことだ。従って僕はオグリが本当に強かった時期の雄姿を直接見ていない。
オグリキャップの魅力はなんだろう。葦毛といってもオグリは地黒。ライバルタマモクロスの方が色白で美しい。ゴール前で目いっぱい伸ばし、鼻差の勝利をもぎとってきたその首も太くて短い。オグリが多くの人に愛された理由は、見た目の美しさではないだろう。ではやはり血統の壁を破って活躍したからだろうか。人はオグリに突然変異の夢を重ねたのだろうか。それもちょっと違う気がする。
▼競馬は血統に負うところが大きいと言われる。重賞を勝つような馬は、重賞を勝った優秀な産駒からしか出ない。あと距離適性。短距離馬の子供は短距離馬。長距離馬の子供は長距離馬。逆はない。人の場合も大概似たようなものだろう。オグリキャップの血統はけして優秀ではなかった。事実種牡馬として期待されたオグリの子供たちに活躍した馬はいない。
▼当時すっかり世を拗ねていた僕は、私淑していた苦学生の先輩に皮肉を込めて言ったことがある。「馬は血統が全てなんですって。(だからどうあがいたってムダですよ)」すると先輩は力むでもなくこう言った。「じゃあ僕は馬でなくてよかった」見栄っ張りの僕に比べ、特にプライドが高そうにも見えなかったが、彼の秘かな矜持に打たれた。
▼オグリを支持したのはこういう人たちだったんじゃないかと思う。世の中にいまさら地位や名誉を求めようとも思わないが、さりとてそれらを得ていないことを恥じる気持ちもない。なによりそれが運命だと決めつける意見には猛烈に反発する。ただ自分の人生を全力で生きるだけ。でもちょっとサビシイ。だから週末は競馬場でひいきの馬を応援する。勝っても負けてもオグリは全力でそれに応えてきた。
▼90年有馬記念の日、僕は後楽園の馬券売場で一点買いしたオグリの単勝馬券を握りしめ、弟の下宿で二人でラストランを見つめた。弟は馬券を買っていなかった。「もちろんオグリに勝ってもらいたいよ。でも馬券買うとどうしてもそういう興味で見ちゃうから…」サンスポの競馬コーナーでは高橋源一郎がオグリに◎でも▲でもなく♡というキュートな予想をしていた。僕以外の人はみんなまともだ。
▼その年の夏、最愛の彼女にフラれて5ヶ月泣きどおしだった僕も、オグリのラストランを見て自分の中で何かが少しだけ動き始めたような気がした。もう何も残っていないガランドウだと思っていたのに、人間案外しぶといものだ。年が明けて少し肉体労働した後、僕は大学をやめ、エロ本を作り始めた。
▼忙しいせいもあるがあっという間に日が経つ。この間のお弁当。











この間のカレー系。


この間のデザート系。プリンは上の子の彼女がバレンタインにくれた家族用。本人は手作りチョコだったらしい。ブラウニーは妻が焼いてくれた。最後のは東北みやげ。




この間の外食系。近所のお気に入りの蕎麦屋で僕は中華定食。妻は味噌煮込みうどん。


そして最後にこの間のウチゴハン