インスタ入門

昼頃落ちてきた雨はすぐに本降りとなった。その後も雨勢は強まるばかり。怖いほどの大雨である。季節はずれの桜もこの雨風でおしまいだろう。
▼新年度になって瞬く間に二週間が過ぎた。年度末工事と大型物件の間でこのところの週末は連休だったが、生憎の雨に祟られた。月初の土日は妻が帰省していたこともあって終日自宅でゴロゴロ。ヒマなので自炊ばかりしていた。


▼妻が戻ってきた二週目の日曜は午後からようやく雨があがり夫婦で花見に出かけた。今ではそれが当たり前だが、みんなスマホをかざして写真を撮っている。スマホをもっていない人はウオーキングかジョギングで花には見向きもしない。ただ花を見ている人を探すのが難しい。

▼この時期インスタグラムも様々な桜の写真が百花繚乱だ。満開の桜並木を撮ればなんでも様になりそうなものだが、これがなかなかうまくいかない。それは僕だけでなくたいていの写真がそうで、これはと思うものは意外に少ない。桜の写真は主に全景、下から見上げたところ、小枝(花)のドアップ、花びらの絨毯の四つに大別される。
▼漫然と桜だけを撮っていたのでは、何枚撮ろうがこのどれかにしかならない。桜と何か。なんでもそうだが、その組合せの関係性に面白味がある。それが写真の背景であり、撮る人の背景でもある。いい写真にはストーリーがあるという。桜(花一般でも同じことだが)だけを写す行為には、桜(花)=美しいという固定観念、さらには美しいものが好きな自分(の心)は美しいという自分語りしか読み取れない。
▼それとは別のタイプで、眼前には満開の見事な桜があるのに何度シャッターを切ってもうまく撮れない。そういった嘆きはハイセンスなig利用者のキャプにもしばしば見られるものだ。今この瞬間、感じたままを切り取りたいけどうまくいかない。光は刻一刻と変化していく。人間の目はかなり高機能な上、さらに心の目が補正をかけるので、どんなにカメラの性能があがっても心の中のイマージュには永遠に追いつけない。
▼写真が上手いとは、この自分のイメージと実際の写真のギャップが少ない人と言えるかもしれない。ただそれがいい写真かどうかはまた別の話だ。写真を少しでもかじったことがある人とそうでない人に雲泥の差があるのは事実だ。だがいわゆるコンテスト入選作のようなきれいな写真が全てではない。そういう写真をきれいだと感じてしまうことも含めて感性の問題である。
▼写真のデキを左右するのは、まず被写体(素材、テーマ)、それから構図、明るさ(光)そして決定的瞬間(シャッターチャンス)だろうか。つまり何をどう撮るか。一般に写真の上手い下手は構図と光によると考えられているが、そんなのは技術の問題でどうにでもなる。僕の考えでは何を撮りたいかという大前提が重要だ。
▼例えば特に撮りたいものがなければ僕のようなルーチンの食事でも撮るしかない。それはきれいな桜(花)でも景色でも看板でも廃墟でも同じことだ。相手は動かないからシャッターチャンスもない。光や構図も対象に寄ったり引いたりするだけ。そうなるともう撮ること自体が自己目的化して、ほとんどインスタのために撮っているようなものだ。もちろんそこに映っているのは「こんな私ですけど」という自己言及だけである。
▼食卓や静物のインスタにもいいなと思うものはある。それはきれいなお花や(心象)風景のような漠然としたものではなく具体的な物の写真である。高価なものでなくていい。古い物。手垢のついた物。代々その家に伝わる物。他人にとってはガラクタでもその人にとって意味のある物。必ずしも陶磁器に限らない。メカニック好きのバイク、釣り好きのリール…これらの写真には自己愛でなく対象への愛が感じられる。
▼雨の週末は積読の文庫本を読んでいた。石原千秋の「漱石入門」。なんとなく既読感がある。漱石好きが高じて石原千秋小森陽一あたりは手当たり次第乱読したので、これも単行本に加筆修正してタイトルをかえて文庫化したものかもしれない。いずれにしろ巻末の注釈を一章ズレて参照していても気づかない程度の意識レベルの低い暇潰しの読書である。
▼インスタグラムからは本当にいろんなことを考えさせられる。石原千秋の趣味とハビトゥス(慣習)の論考も、初めて読んだわけではないが、今回は身に染みてよくわかった。「こうした趣味は<家>の中で長い時間をかけてほとんど無意識のうちに形成され継承される血肉化した慣習なのである…」これは学んで得られる知識ではないのだ。
▼僕は無知なわけではない。けれども「知ってますよ」というコメントに意味がないことは、インスタグラムがSNSだからこそ反応が芳しくないことでよくわかる。書画骨董の世界は、実際に蒐集し売り買いすることによって手元に置いている人の間にだけ通用する趣味なのだ。実際に寄席や劇場に足を運ぶほかはない落語や歌舞伎などの伝統芸能も似たところがある。僕がいいなと思うのは、そのような趣味人の写真なのである。
▼合宿中の朝食。趣味のいい器どころか食器を使っていない。



昼食は安くて量のある丼モノ。



ヒマすぎて自炊した夕食。このあたりがかろうじて僕の世界だろうか。



妻が帰ると食卓が明るくなる。