生きてるってなんだろ

今日もまた、僕の提唱する5月末から6月初の日曜は素晴らしいという説に相応しい好天である、これが来週の父の日になると、もう暑くてかなわんか梅雨入りしてるかのどちらかだ。
▼さて、遅まきながらGWレポート後編である。2日の午後の新幹線で西に向かう。これがもう少し遅れると、1日、2日出勤(僕もだけど)の人たちの帰省ラッシュに巻き込まれて大変なことになる。やはり暦通りの出勤で退社した友人と待ち合わせ駅ナカで前夜祭。

ごまさばにゴボテンサラダ、辛子レンコン、シメの焼きラーと選んでるつもりはないのにつまみにローカルが色濃く出るから不思議だ。
▼サクッと飲んで別れソープ街のど真ん中の格安ホテルで一泊。夜は呼び込みが怖くて写真とれなかったが朝はパチリ。

お店の通り向かいでしばらく彼氏らしき男と話し込んでいたスウェット姿の女がおもむろに道路を横切り店の奥に消えていった。店に横づけにされたワゴン車がリネンを交換している。ここにはここの朝の風景がある。
▼さて帰省初日のイベントは友人の裏山でタケノコ掘りだ。こちらにいた頃はたのみこんでも渋々という感じだったのに向こうから誘ってくれるなんてどういう風の吹き回しだろう。

友人の山はカルスト台地に連なる岩山で、かたい石を穿って根を張るせいか足腰のしっかりした硬くて大きなタケノコが獲れる。けして育ち過ぎではない。これが野趣あふれる食感でとてもうまいのだ。


▼二人で9本掘って全部くれるのかと思ったら半分以下の4本。彼はけしてセコイ男ではないが、妙なバランス感覚がある。少なくとも見栄っ張りではない。思えばこれが常識なのかもしれない。今回帰省したのは老親が心配なこともあるが、会社を辞めるという彼の話をじかに聞きたいというのもあった。「リタイアが人より10年早いだけ」と言うが、きっとしっかりした目算があるのだろう。
▼2日目は友人の愛車サーフでドライブ。霊峰英彦山に登る。

高校の入学合宿で行ったはずだが全く記憶にない。管理者養成学校の富士山合宿のようなものだが、この手の脅し透かしの通過儀礼はホント子供だましでシラケる。一年後輩の国会議員の地元だけにそこら中に看板が出ている。高校の頃はやんちゃでどうしようもない奴だったが、今や押しも押されぬ大センセイだ。やはり人は定められた運命を生きるというほかはない。お行儀や学校の成績のよしあしなんてたかが知れている。
▼最終日はこのあたりの観光スポットナンバーワンであり、夜なら函館、神戸と並ぶ日本三大夜景に数えられる皿倉山に登る。

地元でありながら一度も登ったことがないのだからどうかしている。インスタグラムをやってなければ、きっと今回も実家でダラダラ過ごしただけだっただろう。インスタを始めて多少アクティブになったことは確かだ。

皿倉山を降りて周囲を少し散策した。新日鉄遊休地を利用したスペースワールドも近く閉園するらしい。

なんでも批判的な見方をすればそのように見える。だからといって試み自体が全くの無意味だったということにはならないだろう。1990の開園から実に四半世紀以上の時が経過しているのだ。計画して、やってみて、成功することもあれば失敗することもある。それが人生だ。それは個人も法人も同じだろう。やってもやらなくても時は過ぎる。

▼三日間の滞在中、もうひとつの目的である下の子の専門学校の候補を一日一校ずつ見て回った。両親は相変わらずだ。少しずつ、確実に老いている。特に勧めたわけでもないのに、割りと自然に下の子が高校を卒業すると同時に妻ともどもUターンする流れになりつつあるのはいいことだと思う。



▼現場の向かいの家がお花の無人販売をしているので、空き缶に百円玉を入れて一束ずつ買って花瓶にさして事務所に飾っている。花の種類からして皆目わからないし、茎を斜めに切ると水をよく吸うというようなところからのスタートだ。


ガーベラとストック。普通にやれば一週間以上もつ。それどころか買ってきて茎を切り花瓶にさすと、差したその日は買った当初よりむしろハリが戻るのがよくわかる。


▼学生時代以来およそ30年ぶりに伊藤比呂美を読んだ。「切腹考」といういささか穏当でないタイトルである。

切腹したら人はもちろん死ぬ。しかしそれはどこからがデッドでどこまでがアライブなのか。腹に刃をたてた時点で再び生に戻ることはできない。だがまだ息はある。一方で昔の侍にとって主命は絶対で抗することはできない。切腹が決定した時点で彼にとって死は不可塑なものだ。それはもう死んだも同然ではないか。
▼一週間に一度花を替えながら、そんなことを考えていた。この花もまた、根から切り離された時点で生きながらえることはできない。しかし我々が花を花として意識するのはそこからだ。根がついているうちは花というより園芸といった方がいい。通常はそこから萎れるまで一週間はもつ。萎れてからも完全に枯れ果てるまではもっと時間がかかる。根がついたまま枯れることもある。
▼「マーマイトの小瓶」と「ダフォディル」が特にいい。僕が学生の頃、伊藤比呂美高橋源一郎の妹分と言われた才気溢れる詩人だった。当時の旦那さんと熊本に移住して子供をもうけ、別れて子供を連れてアメリカに渡り、そこでまた新しい伴侶を得た。今彼女は還暦を迎え、自分と同じ年の頃の夫の前の妻との娘といっしょに夫を送り出そうとしている。その辺の顛末も書かれている。
▼彼女が東欧で同棲していた前の旦那さんの強い文学的影響下で、熊本で汗だくになってセックスと子育てに奮闘していたちょうど同じ頃、その同じ黒髪町で、僕は友人の下宿に夏中居候して熊大生でもないのにせっせと柔道場に通い汗だくになって練習していたのだと思うと不思議な気がする。あれから四半世紀。僕は一度も日本を離れずこの国でのほほんと時を浪費してきた。この間彼女が自分らしく生きるために日本を離れざるをえなかったことを考えれば、僕が鈍感で酷薄な典型的な日本人であることは疑いえない。