生まれ変わって

昨日はわりとしっかり雨が降った。古い年度の残滓を洗い流すような本降りの雨だった。今日から新年度。冷たい雨が一日残って随分寒かった。年度末の喧騒もようやく一段落ついて、今日明日と久しぶりの連休である。生憎の花冷え×花曇りではあるが、この時期らしい天気ではある。この二日でしっかり気持ちを切り替えて、来るべき試練に備えよう。
▼昨日は創設以来二回目のプレミアムフライデーということで早々に帰る気満々だったが、ホワイトボードに「プレミアムフライデー15時退社」と大書きされたゼネコンの事務所で定時過ぎまで来期工事の打合せ。年度末の決算日に15時終業は無理というものでしょう。3月31日と4月1日の間に何日か日付のない空白の日があるなら別だけど。
▼打ち合わせ後、車を街の立駐に停めて映画鑑賞。

北欧映画「幸せなひとりぼっち」。妻が帰省しておうち合宿中の僕にはタイムリーなタイトルだ。愛妻を亡くした頑迷な老人が、隣人とのふれあいを通して次第に心を開いていくというもの。この手の話はパターンが決まっていて新味に欠けるが、回想シーンに出てくる奥さん役の女優が素晴らしい。主人公が妻以外の人間はみんなバカだと思うのも無理はない。
▼しかしこれこそが、つれあいに先立たれた独居老人のみならず、典型的なストーカーの心理だと思うといささかゾッとしないでもない。隣りに越してきた狂言回しのイラン人女性が主人公に言う。「奥さんのもの整理しないとね。これじゃ神様だもん。人間に戻してあげないと。彼女も戻りたがってるよ」。半世紀前、最愛の彼女にフラれて毎日泣いていた僕に弟はこう言ったもんだ。「女性を上に見たら恋愛はうまくいかないんじゃないかな」
▼さて、この地球上で唯一僕のことを理解してくれる聡明で美しい妻(笑)が先週から実家に帰っているので、ただいま合宿中である。今ちょうど帰省して一週間の道半ば。まだまだ道程は遠い。朝は作り置きのカレーとタッパで保存されたハヤシでやり過ごしていたものの、すぐに底をついてカップ麺とレンジでごはんの日々になってしまった。





昼はいつもの製麺所直営店か担当事業所横の中華屋か牛丼チェーン。インスタグラムのフォロワーに、炭水化物と塩分の摂りすぎとの指摘を受けてしまった。



▼妻不在初日の土曜は今期工事の打ち上げ。忙しい下半期の間を通して応援に来てくれていた監督と一日だけ応援に来た監督と三人で焼鳥屋からスタート。

優秀な人とそうでない人はすぐにわかるものだ。そして社内外にかかわらず誰もがそのことを正確に理解している。知らぬは本人ばかりなり。今までもこれからもない。人の評価はとっくに定まっている。普段はおくびにも出さないが、アルコールが入って舌が軽くなるとそれが漏れ出てくる。
▼二軒目、三軒目も僕のテリトリーに案内。大竹しのぶママと高橋真梨子ママの店。オバサンばかりで申し訳ないね。


翌日曜は例によって僕だけ出勤。久々の二日酔いと寒さでかなりつらかった。その晩はスンドゥブチケで暖をとりつつ胃を活性化したよ。

その他の夜はこんな感じのおうち居酒屋。



▼先日関西で行動を共にした友人が、出国前の空港から電話をかけてきた。唐突に漱石の「坑夫」は面白いかときいてくる。あんまりオススメできないなと答えながら、ふと漱石の小説のテーマって結局のところミスマッチのことなんじゃないかと思った。坑夫とは今でいえば僕がいっしょに働いている建設労働者のことである。ただ一日が過ぎればいい、帰って一杯やることだけを考えている、そういう人がほとんどだ。でも漱石の「坑夫」はそうじゃない。それはいいことなのか悪いことなのか。
▼どうやら漱石はそれを「罪」という概念でとらえていたようだ。自身の小説の主人公たちにも明確に罪の意識を持たせている。ある種アダムとイブの原罪にも通じるが、単に近代的自我とか自意識とか知らない方が幸せとかいうより、もっと因縁めいたもののような気がする。そんなことをつらつらと思いながら一人寝の夜は更けてゆくのであった。
▼妻帰省前のお弁当。




そしてウチゴハン





最後に焼菓子。