言葉にならない

雨と雨の合間の、低い雲が垂れ込める中を朝から映画を見に出かけた。「英国王のスピーチ」。第83回アカデミー賞受賞作である。特に悲劇的な話でもないのに、途中から涙が止まらなかった。「映画的な快楽」とか「映像の詩学」とか関係なく、久しぶりに手放しで楽しめる映画を見た。映像の力ではなく力のある映画だった。
エリザベス女王の実父ジョージ6世の実話である。ジョージ5世亡き後主人公の兄は、英国王室の責務より人妻との不倫を優先し、一度は継承した王位を投げ出す。後を継いだ弟は吃り症で、国王の最も大切な仕事である国民に向けた演説をうまくやることができない。
▼映画は主人公バーティがまだデューク卿の頃、大英博覧会の閉幕スピーチをトチるところから始まる。主人公に注がれる聴衆の期待の視線が、閉会の辞が出てこないことによって失望に変わり泳ぎ出す様が実にうまく描けている。
▼そこから奥さんが当時はまだ大英帝国の植民地だったオーストラリア出の言語療法士を探しだし、二人三脚の吃音治療が始まる。途中父王ジョージ5世の臨終や兄王との確執のエピソードがつづられるが、奥さんも父王も母太后チャーチルも、誰もがいずれは吃りのバーティが王位を継承することを信じて疑わない。
▼大事なことはうまくしゃべることではない。強い自制心がバーティからうまく回る口を奪ったが、それこそが国王に求められる資質だったのだ。父王の臨終に取り乱し、人妻とのあけすけな恋に身をやつす兄の、弟への王位禅譲スピーチの滔々と澱みない様はどうだ。
▼家族で見る戴冠式の映像に続いて、映写機はヒトラーの力強い演説の様を写し出す。娘に何を言ってるか尋ねられたバーティは、思わず「演説はうまいな」と口走る。そしてクライマックスに、そのナチスドイツと戦争状態に入ったことを国民に知らせ、団結を呼びかける大事なスピーチを、吃音と戦いながらたどたどしく語るバーティ=ジョージ6世。見事な対比と言うべきだろう。
▼エリザベス、マーガレット二人の王女に恵まれたバーティと、平民言語療法士ローグの男ばかり三人息子の家族構成の妙、それぞれの奥方の良妻賢母ぶりが、身分の違いを越えて二人を似通ってみせる。後のクイーンエリザベスを彷彿とさせる王女の振る舞いや、チャールズ皇太子の年増好みが英王室の血筋であることを自然に納得させる描き方もうまい。
▼などなど帰りながら今見た映画の魅力をつらつらと考えた。大好きなモーツァルトフィガロの結婚」が劇中テーマ曲も兼ねて主人公の治療に用いられていたこと、小さい頃よくいじめた弟に吃音の症状があったことなど個人的なことをいくつか思い出したが、涙が止まらなかった理由をつきとめるところまではいかなかった。
▼きっと現実の雨模様の空が、スクリーンに広がるイギリス特有の灰色の風景とないまぜになって、僕の心に雨を降らせたにちがいない。涙の理由はわからない。ただなんらかのカタルシスになったことは間違いない。