緊急投稿!

夕方うたた寝をして眠れなくなってしまったのでブログることにする。
▼その昔小さな出版社に勤めていた時のことだ。ある日携っていた雑誌(エロ本)の編集長と居酒屋に行った。毎日狭い編集室で顔を合わせ、校了前はいっしょに何日か泊り込むくらいなので、差し向かいで飲んでも改めて話すことがあるわけではない。二人で黙々とコップを口に運び、テレビに映る久米宏の顔を眺めていた。
▼やおら編集長がきいてきた。「おまえ久米宏どう思う?」僕は氏の軽い調子のコメントにあまり好感を持っていなかったので、その通り答えた。すると編集長は「オレは評価してるんだよ。だってこんな番組今までなかったじゃん。全く新しいことを始めるのはそれだけでも難しいのに、その上成功までしてるんだからね」今から二十年以上前のことだ。
久米宏がキャスターを務めるテレ朝のニュースステーション(現報道ステーション)が現れるまで、キャスターやコメンテーターがニュースをつついて盛り上がる報道バラエテイのような番組がなかったのかどうか、今となっては記憶が定かでないが、居酒屋での編集長の話が全くの勘違いとも思えない。
ニュースステーション以前の報道は、やはりNHKの毎時のニュースのような形でしか放送されていなかったのかもしれないし、もっと言えば民放に報道の役割はたいして期待されていなかったのかもしれない。そしてその頃までは、マスコミの報道も今より節度のあるものだったのかもしれない。
▼鉢呂経産大臣が辞任した。フクシマ「死の街」発言の引責辞任ということだが、発言としてより問題なのも、実際に命取りになったのも、放射能エンガチョ騒動であることは明らかだ。状況的には、総理に随行した原発視察から議員宿舎に戻った8日の夜半、十名程度の記者に囲まれた時の出来事である。
▼大臣の発言は報道各社によってそれぞれ違っている。「(放射能を)うつしてやる」だったり「(放射能を)つけたぞ」だったり「ほら(放射能)」だったり。ニュアンスはわかる。何かが身体についていて、それを別の相手につけようとする動作にともなって発せられると想像されるセリフだ。
▼「疲れてるんだからもう勘弁してよ」という意味で「近寄ると放射能がうつっちゃうぞ」と冗談めかして言ったのかもしれないし、「たった今原発事故の現場から帰ってきたばかりなんだ」ということを示すために「ほら、防災服にも放射能がついてるんだよ」という意味で記者に近づいたのかもしれない。
▼この問題はすぐには公にされなかった。それが囲み取材段階のオフレコ発言だったからである。そして9日の公式会見で「死の街」発言が問題になった後になって、「実はこんなこともあったんですよ」という形で公表された。その経緯が、鉢呂先生が「人間としてどうなんだい」と問われる前に、「ジャーナリストとしてどうなんだい」ということにならないのだろうか。
▼こういうのを濡れた犬を打つというのではないか。わかりやすく言えば弱いものイジメである。マスコミは世論の風向きを見て、弱り目になったとみるやよってたかってたたく。それはジャーナリズム本来の使命である弱きをたすけ強きをくじくのとは正反対の態度だ。
久米宏ニュースステーションは、国民受け(=視聴率)だけが全てである現在のような報道のあり方のたしかにハシリではあった。久米自身、自らが先鞭をつけた軽薄なテレビの世界に戻ってくるには、もう重すぎる存在だ。報道の倫理はそこまで軽くなっているのに、その影響の及ぼすところは大臣が辞めなければならないほど大きい。