秋分の日

台風一過。日中はピーカンでまだかなり暑いが、夜はすっかり秋の空気に入れ替わった。なんとか秋分の日に間に合ったって感じだね。それにしても台風15号の威力は凄まじかった。フンづまりのような残暑を吹き飛ばすには、あれくらいのエネルギーが必要だってことだね。
▼ときに敬老の日の九月十九日は近代俳句の祖、正岡子規の命日。
糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
おととひのへちまの水もとらざりき
子規の絶句にちなんだ糸瓜忌も知らないなんて、俳句詠みを名のるのもおこがましい。青春の想い出にひたるのも結構だが、いいかげん前を向いて歩き出さないと人生終わっちゃうよ。
糸瓜忌を知らずに過ぎて彼岸入り
▼その子規と、伊予は松山の同級生で、バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎の参謀秋山真之、兄の秋山好古の三人を主人公にした、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」が、毎年末NHKでテレビ放映されている。今年は早くも第三部だが、今から楽しみでしょうがない。暮れマニアを自認する僕にとって欠かすことのできない年末恒例行事となった。

NHK スペシャルドラマ 坂の上の雲 第2部 DVD-BOX

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▼日本という小さな島国が、中国やロシアといった巨大な隣国に脅かされている状況は、昔も今も変わらない。国家の存亡をかけて大国に挑み、勝ち抜いてきた先人と我々の違いは何か。それを司馬先生は「明治人の楽天的気質」に求めた。坂の上の雲だけを見据えているから上り坂が苦にならない。国家も人間も、上り坂にあるとはそういうことだ。下り坂だとこれが逆になる。上り坂とは若いということだ。今、日本にもっとも欠けているのは「若さ」であり「希望」だろう。

火曜はマーボナスに春雨の炒めもの。水曜は豚の生姜焼きに鶏と冬瓜の炒め煮。せっかく美味しかったのに妻が「色合いが悪い」と写真を拒否。

木曜はミートソースにサラダ。写真を撮る前に下の子が手を出してしまった。下の子は相変わらず食べる前にスパをよーくよーく混ぜている。よく混ぜるということは、それだけフォークとスプーンの柄にソースがついてしまうリスクが高いということだ。案の定彼は時々Tシャツで柄を挟んで拭いている。全く何を考えているのやら。まあ子供のうちは子供らしい方がいいかな。そして秋分の日の今日はみんなでスシロー。