長いお別れ

平野勝之監督の「監督失格」を見にいった。平野監督が、自分とAV女優林由美香との関わりを、二人の馴れ初めから由美香の最後に立ち会うに至るまでの成り行きを記録した極めて個人的な映画だ。
▼人気AV女優林由美香は、平野のAV監督デビュー作の主演女優である。つまりは初めての女だ。その初恋の相手が忘れられず、平野は32才の夏、26才の由美香と日本最北端北海道礼文島までひと月に渡る自転車旅行を決行する。その旅の途中で、かなり激しい喧嘩の際、平野はカメラを回す気持ちの余裕がなかった。そのことを由美香に咎められ、「監督失格だね」と言われたことがずっと耳に残っている。
林由美香は35才の誕生日を目前にした2005年6月26日に亡くなった。平野がなぜ由美香の遺体の最初の発見者になったかというと、彼女の誕生日に久しぶりにいっしょに仕事をすることになっていて、その撮影のために由美香の自宅を訪れたからだ。カメラを持って撮影にきたにもかかわらず、平野はこの時もまた由美香の遺体にカメラを向けることができなかった。「監督失格」というタイトルは、この二つの出来事からきている。とはいえ玄関に置かれた回しっぱなしのカメラには、その日の一部始終を写したテープが残された。
▼映画のオープニングとラストは、由美香の死から五年が過ぎた2010年10月6日、平野が再び自転車に乗って疾走する自分自身を撮影するシーンだ。五年の間ほとんど活動を停止していた後、ようやく由美香の母親があの日のテープを使うことを許してくれたというのに、どうしてやる気が起こらないのだろう。そんな自分の本当の気持ちを理解した平野は、由美香の遺体を最初に見た時も、彼女の葬儀の時にも泣けなかった感情を解放して嗚咽する。「オレは由美香にサヨナラを言いたくなかったんだ」
▼もうひとつ、別のエピソードを紹介しよう。幼い時に父親と死に別れた解剖学者の養老孟先生は、かなりいい年になっても人にうまく挨拶をすることができなかった。中年になったある日、先生は電車の中で不意にその理由を悟り涙が止まらなくなる。「自分は父親にサヨナラを言いたくなかったのだ」と。人は自分の本当の気持ちに気づかないまま、長い年月を過ごすこともある。
▼この映画は、その制作過程がそのまま平野監督の林由美香に対する喪の仕事であるような、いわば「メイキング喪の仕事」なのだが、彼がお別れを言ったのは由美香に対してだけだったのだろうか。
▼平野の仕事は、V&RプランニングというAV制作会社のアダルトビデオの監督である。映画に出てくる由美香の元恋人のカンパニー松尾もそう。他にバクシーシ山下なんかがいる。山谷の労働者集団と女優をからませてみたり、実験的といえば聞こえはいいが、僕らの間ではぎりぎりのことをやってる過激なレーベルで通っていた。
▼平野監督もいろいろ派手にやったようだが、本来AV女優とAV監督であるはずの二人の側面は、この映画には出てこない。セックスシーンは皆無。礼文島到達記念に素っ裸でポーズを決める場面以外ヌードすらない。
▼たかが野球されど野球。たかがセックスされどセックス。人はパンのみのために生きるに非ず。そして人はエロのみのために生きるのでもない。そのことを、いったんはアダルト業界に身を置くことでしか学べない不幸な人たちがいる。セックスにとらわれる人たちの共通点は「とんでもないさみしがり屋」だ。そしてそれが生い立ちからくるものであるならなおさら不幸なことだ。
▼由美香は正真正銘の業界人だが、平野監督がそうだったのかどうか。元々「監督失格」というよりは「AV監督失格」だった。この映画で監督が本当にサヨナラしているのは、そういった青春に特徴的な露悪趣味のような気がする。だからこそ由美香が不憫でならないのだ。