シジフォスの神話

雨が上がったと思ったら風がうなり声をあげている。雨除けのシートが飛ばされないか心配でおちおち眠れない。雨が降れば雨漏れが心配だし、やめばやんだで今度は風が心配だ。雨降りだと中止になる仕事が多いので代休をもらったのだが、まったく気が休まらない。だからといって毎度出ていったのではほんとに年中無休になってしまう。先週も呼び出しでつぶれたので今週こそ出ないと決め込んでいたのだが、かえって神経が参ってしまった。明日はこのまま早出して現場を見に行こう。つくづく因果な商売だ。というわけで怒涛の一日三連続更新である。
▼昨年の監督より今年の監督の方が優秀だというのは既に書いた。しかしやはり完全に任せられるだけの信頼感はない。社内にそういう人材が皆無かといえばそうでもない。僕も今の会社に入っていつのまにか十年近くが経ち、他の人といっしょに仕事をする機会も一巡した。酒を飲んで話をしただけではわからないが、いっしょに仕事をすればその人の持っているものがすぐにわかる。自戒をこめて言わせてもらえば、仕事をルーチンにしようとする人はダメだと思う。ルーチンにしてしまわないといちいち考えなくてはならないし、いちいち考えていたのでは仕事にならないかもしれないが、もうやり方が確定しているような工程であってもさらに工夫しないと進歩はない。
▼学生の頃、同期のマンションに遊びに行ったときのことだ。そいつは社会人の兄貴と部屋をシェアしていた。そのお兄さんが僕らが雀卓を囲んでいるとスーツ姿で帰ってくるなり、今の会社を辞めて司法試験だか公認会計士だかを受けなおすと言い出した。たしか超のつく優良企業に就職していたはずなので、みんなして「もったいない」という話をしたと思う。するとお兄さんは「俺は今まで要領よく生きてきた。これからはもう要領を追うのはやめようと思うんだ」と言った。世をすねてドロップアウトするというのではない。苦難の道を敢えて選ぶという意志表明だった。
▼要領よく段取りよくやることが必要な職種もある。現場監督はそういう職種かもしれない。しかしこちらが要領よく段取りよくやることは、お客さんにとってはどうでもいいことだ。結局のところ身内にしか関係のない話である。身内に楽をさせる、具体的には会社や下請が儲かるために要領よく段取りするのならわかるが、自分が楽をするためなら本末転倒だろう。そして要領よく段取りすることで自分の責務を全うしていると言うのであれば、自分が汗をかくことでさらに利益を積み増さねばならないはずだ。
▼なんにしろ、これで終わりということはない。決まりきったように思えることでも答えがあるわけではない。どんなに小さいように見えても改善の余地というスペースは無限大に広がっている。そのことを理解できない人は、いくら若くて有望でもそこでアガリだ。僕はけして上をめざそうというタイプではないし、むしろ最近の若い人は上昇志向や野望を隠そうともしないが、これはそういう俗っぽい話とは全然関係のない物事の真理なのだ。タイトルは有名なギリシャ神話の永遠の労働のシンボルとなった岩を持ち上げる苦役の逸話である。それを「徒労」と思うかどうかは自分次第だろう。
▼学生になりたての頃、ご多聞にもれず僕もカミュサルトルから仏文学をかじり出した。サガンが好きだというくだんの彼女に対抗して「異邦人」「カリギュラ」「シジフォスの神話」くらいは懸命に読んで、彼女に世の不条理を嘆いてみせたりもしたが、結局あの頃は何一つわかっちゃいなかったんだと今は思う。ビートたけしがビールのCMで「大人になるとは?」というお題に「若いときの自分を恥ずかしく思うこと」と答えていたけどほんとだね。わざわざ薄暗いバーでボーボワールの「第二の性」なんか読んで、隣に座った女の子に「活字中毒ですか?」ときかれ、「いえ、アルコール中毒です」なんて答えていい気になってたんだから全く噴飯ものだ。

夕食は例のブドウパンとくるみ入りのドライフルーツのパンにカマンベールチーズを合わせたものとチャーハン。今の妻はそんな薄暗いバーなんかには絶対立寄りそうのないタイプだし、そもそもお酒も嗜まないので、僕の恥ずかしい過去もあっさりスル―してくれてとてもたすかる。