K先生のこころ

数日前から「風邪かな?」と思っていたら、週初めの雨がやんで急激に気温があがった日の午後、急に目が真っ赤になって涙が止まらなくなった。僕はもともと鼻がつまっている方だが、いつもよりもっと鼻がつまって、つーっと鼻水が落ちるのを止めることができない。嗅覚どころか味覚もはっきりせず、食事が全然楽しくない。これがいわゆる花粉症というやつか。これはたまらん。みんな大騒ぎするはずだね。けど僕は単に鈍感なのか、それとも忙しすぎて仕事に気が散るせいか、そのうち気にならなくなってしまった。
▼花粉症も熱中症やメタボや無呼吸と同じで、僕が子供の頃にはそんな病気聞いたこともなければ、周りにそんな人見たこともなかった現代病のひとつである。現代人てそんなにデリケートかな。きっとみんな自分が可愛くてしょうがないんだろう。あるいはバレンタインや恵方巻きみたいにひともうけたくらむ仕掛け人の仕業にちがいない。少なくとも僕が子供の頃はバレンタインはともかく恵方巻きなんて風習は聞いたことも見たこともなかった。どっかの方角を向いて巻き寿司を頬張ると幸がくるなんて、現代人はそんなに不幸なのかな。みんな自分だけが可愛くてしょうがないんだな。
▼さて、西脇順三郎といえば、ひざまずいて諸手を広げ「一日中君のことを考えているよ」と月並みな愛のセリフを唱える僕に、彼女は「私は一日に一度は西脇順三郎のことを考えるわ」と返した。人生最大最高の恋の夜に酔いしれる僕が知る由もないが、今思えばそれは「私はあなたとはちがう」という訣別のセリフだったのだろう。その後すぐ彼女にフラれ、二、三年惰性だけで東京にとどまった後失意のうちに都落ちした僕は、ほどなく刊行された西脇順三郎全集を全巻大人買いしたものだ。だが今日の主役はその彼女でもなければ西脇順三郎でもない。
▼今はなき地元の老舗書店で注文した全集を受け取った帰りのバスで、僕は偶然K先生と乗り合わせた。K先生はUターンした僕が最初に勤めた進学塾の非常勤講師で、かなりの年配だった。塾の非常勤といえば地元の大学生か資格試験浪人のバイトというのが通例で、K先生のような専任の非常勤(語彙矛盾か)というのはめずらしかった。たしか母親と二人暮らしで結婚はしていなかったと思う。K大の哲学科を出たという話だった。僕らのような30前後の若い専任講師たちの飲み会にもよくつきあってくれた。
▼ハードカバーの全集本でぱんぱんに膨れた紙袋を重たげに両手に下げて乗り込んできた僕に、先生は言った。「それなんだい?」「西脇順三郎全集です」先生は少し意外そうに僕を見た。「へえ、君そんなの読むんだ」「いえいえ老後の楽しみにと思って買っただけですよ」「ふうん、でもこの塾に西脇順三郎を知ってる人がいるなんて思ってもみなかったよ」と楽しそうに言いながら、先生は先にバスを降りていった。
▼塾の事務員だった妻と結婚した後、僕は三年ほど勤めたその塾をやめた。それから派遣と業界紙記者を数か月ずつ、墓石屋と豆腐屋に三年ずつ勤めて、僕は再び地元を離れることになった。引っ越す前に、塾で仲良くしていた先生たちと飲む機会があったが、その席にK先生も来てくれた。「最近神経痛がひどくて」と足をひきずって歩いていたが、明け方まで何軒もの梯子酒に最後までつきあってくれた。
▼「僕らの世代はなんといっても吉本隆明だったねえ」と言う先生に、僕はたいして読んだこともないくせに「吉本隆明って我流っていうか感覚的すぎません?」なんてよく言えたもんだと今思い出しても呆れてものが言えない。そんな僕のテキトーな話にも先生は特に反論もせず、ただ目を細めて聞いているだけだった。
▼K先生からは二度葉書をいただいた。一度は結婚した後の年賀状で「今降っているこの雨もあなたたちの舌を濡らしていることでしょう」と西脇順三郎の詩を模した短い文章に、僕たちの結婚を祝福する気持ちが溢れているように感じられてとてもうれしかった。二度目は引っ越してすぐのことで、老親の介護に忙殺されていると書いてあった。けれどその生活に「ハマっている」というようなニュアンスのことが書かれていた。以来もう10年近く音信がない。
▼先生は今どうしているだろう。先生は若い僕をどんな風に眺めていたのだろう。先生と最後に飲み会で会って10年、最初に会ってから20年近くが過ぎた。今の先生はもうとうに60を超えているだろうし、今の僕は僕が最初に会った時の先生より年をとっているだろう。そう考えると不思議な気がする。僕も若いころ務めた塾の先生とは別の意味で、若い人たちにとってのK先生にならなければならない年だ。

ウチゴハンはブリ照りに豚肉と春雨のニンニク芽炒め。先生、僕は結婚してよかったです。先生、これでいいんですよね。