贈る言葉

しとしととそぼ降る雨の一日である。一週間以上も前からの予報がドンピシャリだ。最近の天気予報はほとんど外れることがない。それはいいことだろう。
▼今週はスーツ姿のお父さんお母さんの姿をよく見かけた。卒業シーズン真っ盛りである。やがてコブシの花が咲き、桜舞い散る中で入学式が行われる。春だね。
▼塾の講師をしていた頃、受験と合格発表という業界最大のイベントを終えた宴の後の弛緩した空気を懐かしく思い出す。ガランとした教室で脱力感とともに漫然と過ぎてゆく時間がなぜか心地よかった。冷え冷えとしたリノリウムの廊下にもういない生徒たちの幻影を見るともなく眺めていたな。
▼行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。ご存知方丈記の一節である。毎年繰り返される同じ景色もけして同じではない。いつのまにか僕も年をとってしまった。
▼昨日は下の子の卒業式だった。ころころ転校して目先が変わった僕からすると、ひとつの小学校を勤め上げた下の子は随分長いこと小学生をやっているような気がする。職業=小学生という感じで堂々たるものだ。象徴小学生といってもいい。
▼卒業式に行った妻の感想は「女の子がみんなAKBやった。しんちゃん(上の子)の時はそうでもなかったのに」というもの。きっとイオンの子供服売場はここ数か月プチバブルに沸いたに違いない。物凄い経済効果だ。下手な経済評論家より秋元康の方がよっぽど日本経済に貢献してるよ。
▼それはともかく下の子である。顔かたちだけでなく性格から行動パターンまであまりにそっくりなので、最近は僕の方が逆に彼に似てきたかと錯覚するほどだ。手足が短い、無呼吸など身体的特徴から、食い意地が張っている、怒りっぽい、甘えん坊といった気質的特徴まで全て僕の血を引いていることは何度も書いた。
▼不思議なのは便意を催すタイミングまで同じこと。毎朝必ず便器の奪い合いになる。それというのも僕が便所で新聞を読むからだが、このあいだ下の子がなかなか出てこないので痺れをきらしてのぞいてみると、ゲームをしていた。
▼お風呂でオシッコをして妻に「トイレ臭くなるからやめて!」と言われるのも僕と下の子だけだ。まるで犬猫並の扱いだが、特にしつけたわけでもないのに長男はそんなことは絶対しない。
▼センスが悪いくせに妙に色気づいて恰好を気にしたり、威勢がいいようで恥ずかしがり屋のとこや、見栄っ張りで金遣いが荒い割に肝が小さくて大きい買物ができず結局何も残らないところなど悪い癖は全部僕に似た。
▼将来が思いやられるが、出来の悪い子ほど可愛いものだ。自分に似ているならなおさらである。こうなったらもういい奥んをもらうしかない。本当にそれしかないぞ。そして奥さんの言うことには絶対に逆らうな。そうすればそれなりに悪くない人生を送ることができるだろう。


こんな料理やあんな料理も作ってくれるよ!