春分の日

暑さ寒さも彼岸までというが、週末の雨の後は冬型の寒い日が多い。来週もあまり気温が上がらないようだ。年度末の慌しい日々が続く。工事も終盤にさしかかり、リース品を返却する手配をしていたらレンタルメーカーが軒並み休みで段取りが全てパー。旗日ということをすっかり忘れていたよ。
▼前回エントリのしとしと雨が夕方本降りになった。その雨を追い越すように高速を飛ばして海の近くの宿泊施設に向かった。弟家族の住まいと僕の住まいのだいたい中間地点に両親がセットする家族会も今回で2回目、ほぼ2年ぶりになる。弟の子のお披露目をかねた僕が住む町での最初の集まりを含めると3回目。ほぼ6年の間、僕たち兄弟が会ったのは両親を介したこの3度きりだ。
▼互いに結婚してそれぞれに家庭を持ち働き盛りともなればそういうものなのかもしれない。けど学生の頃はまだしも、二人とも社会人になってからは独身でもほとんど連絡をとることもなかった。結婚するまでは不幸すぎて、結婚してからは幸せすぎて正直弟どころじゃなかった。そう考えると自分が相当に酷薄な人間であるような気がしてくるが、この間弟の方からもコンタクトがなかったことが、一抹のさみしさとともに唯一の救いでもある。
▼僕が今このブログを書いている隣の部屋では、かつての僕たち兄弟にそっくりな僕の二人の子どもが、布団に横になってゲームをしながらコソコソ何か話している。二人はとても仲良しだ。僕たち兄弟がこんなに疎遠になってしまったのは、僕が上の子のように弟の面倒をよくみるできたおにいちゃんじゃなかったからかもしれない。
▼6年前に比べ、両親は目に見えて年をとった。弟もずいぶん変わった。それは僕がまだ弟を自分の下の子を見るような目で見ているからかもしれない。同じように、両親のこともいつまでも子どもがお父さんやお母さんを見る目で見ているのかもしれない。だからそこにギャップを覚える。本来なら僕たち兄弟で両親を招いてこのような場を設けなければならないところだろう。そういうことも含めて、こういう集まりは家族や親族の範囲やあり方というものを改めて考えさせる。
▼いっしょに住む妻と子どもたちは間違いなく家族。妻方も含めて両親もそう言えるかもしれない。しかし弟はどうだろう。まだ両親と4人で住んでいた頃は家族だったが、今は親族ではあるが家族とは言えないだろう。では親族の範囲はどうか。僕がまだ子どもの頃、両親の兄弟姉妹が集まって、その子ども同士がいとことして遊んだ頃までは親族と言えたかもしれないが、現在はつきあいがない。実の弟ともめったに会わないのだから当然か。
▼小さい頃は、両親がほかの親戚たちと余り親しくないような気がしていたが、今では自分も弟とそう親しくつきあってはいない。自分の子どもは可愛いが、姪っ子にはたいして愛着がわかない。義妹などはアカの他人だ。そう考えると子どもの僕にやさしく接してくれたおじさんやおばさんたちはどういう感覚だったのだろうと不思議に思ってしまう。やはり僕は酷薄な人間なのかもしれない。
▼会食の刻限を過ぎて到着し、お風呂にも入らずそのまま宴席につき、食後にひと風呂浴びると横になった。翌日に仕事を控えており、朝4時過ぎに宿を出た。その間追い越したはずの雨が後から追いかけてきて一晩中降っていた。食後に父と子どもたちがいっしょにお風呂に入る時間を持てたことはよかったと思う。

春の雨家族の宿を濡らしをり
横たわる耳に触るや春の雨
家族会ひとつの傘におさまれり