若者の全て

昨日の嵐はかなり激しかった。今朝現場に来てみるとカラーコーンが軒並み倒れていた。ゲートも大きくせり出していて、ロープで引っ張っていなければ道路まで飛び出していたかもしれない。これでは満開のコブシはみんなダメだろうと思っていたら、しぶとく残っていた。まだ花をつけたばかりの桜などは花びらひとつ落ちていない。一二週間もすればみな散ってしまうというのに、その時がくるまではびくともしない。このはかなさとしなやかさの同居が、自然の、あるいは生命の特徴だろう。
▼さて、春と言えば若い人の季節だ。今朝の日経日曜版の読書欄に「高校紛争」という新書が紹介されていて、一時僕も自分の青春の頃を思い出した。学園紛争といえば大学と思われがちだが、著者によるとピークの1970年前後には200校を超える高校で大学と同様の学生運動が展開されていたという。
▼僕が学生だった80年代には学生運動の季節はとっくに過ぎ去っていたけれど、それでも講堂に赤い旗を振るヘルメット姿が見え隠れし、学内のそこここにブント文字のタテカンが散らばり、オリエンテーションの教室には民青と革マルがビラを配りにきて、上京したばかりの田舎モン(僕)をチビらせるには十分な雰囲気を醸し出していた。
▼「高校紛争」の高校生より一回り下にあたる世代の僕が高校の時の、いわゆる左翼運動らしきものとの関わりで記憶していることがふたつある。ひとつは親に小遣いをねだって友人と参加した日教組の全国大会。大きな体育館の隅っこに形だけ腰かけた総会もそこそこに宿にとって返した僕は、未成年のくせに酒なんか飲んで酔った勢いで好きなクラスメイトに電話したものだ。そのくせ大会から戻ると、会場で配られたパンフレットの表紙にすられた核廃絶のスローガンだけとってきて友人たちに吹聴したりして、今思うとホントに舌を噛み切って死にたいくらい恥ずかしい。
▼もうひとつは二年の時の同級生Nのこと。気が合ったのかよくお昼をいっしょに食べた。当時ホームルームで輪番で司会を決めて討議をしていたことがある。折しも校門で君が代強制反対のビラが配布される事件があった。彼が当番の日、いつものように二人でお弁当を食べている時、「今日はそれをテーマにするつもりだけど、なかなか意見の出にくいテーマだと思うから君、うまくつかみをたのむよ」とたのまれたことがある。快諾した僕は「受験勉強ばかりに汲々としてみんな物を考えなくなってるんじゃないか」というような幼稚なことを言って失笑を買った。失望に顔をくもらせ教壇で下を向いた彼を今でもよく覚えている。
▼結局一年間だけのつきあいだったけど、彼は今どうしているだろう。風のうわさに大学は高橋和己研究会に所属していたと聞いたが、その後の消息は杳としてしれない。Nクン、僕も高橋和己の「邪宗門」はマイフェイバリットの一冊だよ。現国の授業の後休み時間になっても飽きずに「こころ」の先生の心理について話したね。実のところ聡明な彼が僕なんかと話して楽しかったのかと今でも不思議な気がする。
進学校で学業でも運動でもバカにしていたガリベンくんたちの後塵を拝し、鬱屈したフラストレーションの解消に、自分のふがいなさを世の中のせいにして斜に構えていたのだから、「一番バカなのは左翼、次にバカなのは文学青年」という言葉はぴったり僕にあてはまる。それでも僕は今までの人生の中で、Nといっしょに弁当を食べた時間が一番楽しかったような気がする。何を話したかはもう忘れた。ただそこには何かいい方向をめざすいい自分がいたような気がする。
▼夢でも野望でも革命でもなんでもいい。ようは若い人が抱く希望のいろんな呼び方にすぎない。自己弁護するつもりはないが、若い人の気持ちを軽んじてはいけないと思う。そうすれば地下鉄サリン事件のような悲劇も避けることができたかもしれない。少なくともバカな僕が道をはずれなかったのは、両親をはじめ師や友人たちが未熟な僕を尊重してくれたからだと思っている。

昨日のウチゴハンはチキンソテー。短時間の暴風雨を境にすっかり空気が入れ替わって、今日はまた冬に逆戻りだ。新年度の初日にはこれくらい凛とした空気がふさわしいかもしれない。それでも昼間はひばりが鳴いていたな。