韓国再訪

社員旅行でソウルに行ってきた。1994年以来実に18年ぶりの再訪である。3泊4日の日程ではあったが、実質2日半のあっという間の旅だった。近い近いといってもそこは外国。フライトそのものは2時間でも、出国審査に2時間、入国審査に1時間、会社から国内空港までと仁川空港からソウルまでのバス移動にそれぞれ1時間かかり、全部合わせれば結局1日仕事である。行きに朝8時半に普通に会社を出発すればホテルのチェックインはもう夕方。昼過ぎに到着するために帰りはホテルを早朝5時に出発しなければならない。
▼行程をかいつまんで説明すると、初日夕方到着と同時に南山タワーで韓国の街並みを見た後焼肉の夕食宴会。二日目は北朝鮮との国境近くDMZ付近の観光。昼食にプルコギを挟んで戦争記念館見学後、明洞で実弾射撃、フットマッサージを体験してリョサンドン市場で海鮮料理の宴会、ヒルトンホテルでカジノ体験。三日目は一日フリータイム。そして四日目は早朝出発による移動のみ。フリータイムをどうするかかなり悩んだが、ガイドさんがかわいらしかたったのでオプションの市内観光を選択した。午前中青瓦台、宮殿観光、石焼ビビンバの昼食をはさんで午後から市場めぐりのコースである。
▼ホテルはアスコットグループの滞在型レジデンス。ダブルベッド付二部屋に大型冷蔵庫からキッチンまで完備されており、正直ひとりで泊るには過剰すぎる施設だ。それは端的に言ってこの旅行が売春ツアーであることを意味している。要するに女の子を連れて帰っても狭苦しい思いをしなくてもいいような配慮がなされているわけだ。ひと昔前キーセンと呼ばれたシステムは、現在KARAOKEと名前を変えて存続しており、単なる宴会の二次会のつもりで参加するとお店にも女の子にも失礼なことになってしまう。彼女たちも生活がかかっているのだ。初日に半分以上がキャンセルしてママが怒っているのがわかったので、僕はもう二日目はカラオケ自体に参加しなかった。ところがカラオケに参加しなかったのは僕を含めて年寄から順に3人だけ。若い人たちは二日目は女の子を連れて帰ったのだろうか。それともまた飲んでカラオケだけ歌って帰ってきたのだろうか。
▼僕だって聖人君主ではない。若いころは虎穴に入らずんば虎児を得ずの精神で進んで怪しげな場所に突撃したものだが、どうも団体行動は性に合わない。みんなが行かないような時にひとりだけ出かけ、みんなが行くような時にはもうすっかりやる気が失せてるなんて、僕もよっぽど天邪鬼だ。それとも単に年寄の仲間入りをしただけかもしれない。それはともかく僕がこの旅で何をしていたかというと、免税店に立ち寄ってはせっせと妻に頼まれた化粧品を買っていた。結局のところ男は必死で稼いだ金を女に貢ぐようにできてるんだな。
▼二日目のDMZツアーはこう言ってよければ展望鏡で禿山を覗き、北朝鮮が掘ったトンネルと呼ばれる小さな鍾乳洞を往復したにすぎなかった。ガイドさん自身、首都から100キロ圏内にそのような場所が存在しているとか、北朝鮮が攻めてくるという感覚はないと言っていた。僕と同世代の彼女は、日本統治時代からの歴史を日付まで正確に解説しながらも、「植民地というのは韓国という国はない状態です」とか「わたしも北朝鮮の人にはツノが生えているという教育を受けましたが、今は同じ民族として統一に向けて努力しなければならないと思っています」という言葉に良識がうかがえた。
▼韓国は4月11日に総選挙を控えているようだが、行ってガイドさんから聞くまで知らなかった。僕自身がノンポリ(死語)のせいもあるが、金大中盧武鉉李明博と回を追うごとに政治色が薄まっているように感じるのは気のせいだろうか。ソウル市内も選挙戦が過熱しているようには見えなかった。北朝鮮の衛星発射も選挙のタイミングを見計らってのことかもしれないが、そちらに関しても切迫感は感じられなかった。
▼みんながカラオケ屋の女の子と屋台で飲み直し、部屋に連れ帰って乳繰り合っている時間、ホテルに引っ込んでタテとヨコが同じサイズのベッドに横になりテレビをザッピングしていると、韓国のバラエティ番組に日本の大食いタレントが出ていた。コンビニで買ったカップラーメンは、辛さとは違う意味で18年前にはどうしても口に合わなかった匂いが消えていた。コリアンエアのCAはみな細くて白くて背が高かった。そういえばガイドブックに文例として載っているほど街はキムチ臭くなくなっていた。18年前から既にソウルは大都会だったが、この18年で日本と韓国は本質的な部分でずっと似てきていると思った。

3日ぶりのうちごはんは手作り唐揚げ。サムナクチ、ケジャン、チャプチェなど食についてはひと通り堪能したが、妻の手料理に勝るものはない。