ますらおぶり、たおやめぶり

僕が韓国に行っている間、日本はとてつもなく寒かったらしい。ソウルはかなり寒いと聞いていたが、確かに行き帰りで体感温度にほとんど差はなかった。その寒さが嘘のようなポカポカ陽気が二日続いた後の今日は大雨になった。冬にこんな雨は降らない。春の嵐でもない。季節は確実に一歩進んだね。
▼18年ぶりのソウルをひとことでいえば、コンビニが増えてニンニクが消えたと言えるかもしれない。南山公園ではカラフルな市民ランナーが目についた。山頂には展望台に上る観光客を待つ電気バスが充電中だ。ソウル一の繁華街明洞は18年前は新宿という感じだったが、今は渋谷のセンター街に近い。現代の車はデザインも洗練され、道行く人たちはみなサムスンのギャラクシーを手にしている。看板にハングル文字が躍っていなければ、誰もここが日本だと疑わないだろう。
▼ところが日本を出国する際満開だった桜が、ソウルではつぼみすらつけていない。南山公園の登山道は桜のトンネルになるというが、黒々とした裸の木々は、そう言われなければ桜とは気づかないだろう。その枝から枝を、白黒ツートンの見たこともない鳥が渡っていく。花も葉もつけていない裸の雑木林だから大きな巣がやたらに目立つ。ガイドさんによれば、これが韓国の国鳥カササギらしい。なんだか巨大なツバメのようだ。街並みよりもこういうところに大いなる違和感を感じる。
▼ところで買って帰った韓国みやげは概ね好評だった。特に女性は「センスがいい」と手放しの褒めようである。結婚以来僕もようやく妻の教育が身についてきたってわけだ。もっともこういった「反応のマナー」とでもいうべきものについては、そもそも女性の独壇場であると詩人の荒川洋治氏もどこかで書いていた。
▼自著をプレゼントすると女性はパッと顔が明るくなる。目を輝かせる。愛おしげに表紙を撫る。ページを開き、気に入ったフレーズを具体的に口に出して褒める。一方男性は、「素敵な本ですね」と口では言いながら、もう半分鞄にしまいかけている。バカ。と、だいたいこんな感じだったと思うが、全くこの通りだと思う。
▼空港からソウルに向かう高速道路に沿って急行列車が走っている。反対側にはきらめく水面が見える。仁川空港一帯は巨大な人工島で、島を埋め立てるために掘って下がった土地を、せっかくだから運河にしようという意見が出た。しかしただの溝と運河では大違いでなかなか先に進まず話は立ち消えになりかけた。いったんは放置された巨大な掘削溝は今なみなみと水を湛え、ほどなく連絡船が就航するという。
▼そのことをガイドさんは「韓国人はやるといったら必ずやるんです」と表現した。18年前にも感じたそのエネルギーを、僕はニンニクパワーと勘違いしていた。今ソウルの街からはニンニク臭もパワフル魂も感じられない。だが韓流の美男美女たちが美容整形に頓着がないのも、90年代の通貨危機に躊躇なくリストラを断行できたのも、ガイドさんのいう同じ国民性からきているように僕には思える。簡単に言えば韓国人は男らしいのだ。
▼満開の桜もこの雨勢ではもつまい。結果的に見ごろは先週末だったわけだ。僕がいない週末、友人と花見に行った妻は寒さで凍えそうだったと言っていた。僕の記憶の中では花見は常に寒さと結びついている。上京したての春、高校の先輩と二人で一升瓶を抱えて新井薬師の公園を徘徊したあの夜も寒かった。歯の根も合わない花冷えの夜、多分に武者震いの気もないではないが、いくら日本酒をあおっても震えがとまらなかった。そんな想い出も極めて日本人的な感傷でしかないだろう。

火曜はミートローフ。
僕も妻も典型的な日本人だが、日本の女性が世界的にも評価が高いのはご承知の通りである。男性は、僕を基準に考えては日本の男性諸氏に失礼だね。