サウダーヂ

忙しさにかまけて一週間も更新を怠けていると、その間にもめまぐるしく季節は移り変わる。ようやく春らしい陽気になったと思ったら、昨日は冷たい雨に降られて濡れネズミになっちまった。見渡せばすっかり桜も散り、沿道は一面菜の花だ。早咲のツツジもちらほら目につく。タケノコも出回っているらしい。食べたい。じきにゴールデンウイークだ。大漁だった昨年の潮干狩からはや一年が過ぎた。
▼記憶はさらに旧友とアサリをとった千葉の富津湾にとぶ。もう20年以上前のことだ。いや大方四半世紀近い歳月が過ぎている。思えばバブル只中の頃だ。みんながジュリアナでブイブイいってた時代に這いつくばってアサリなんかとってるんだから、僕も友人も比喩的な意味でも直截的な意味でもバブルに踊るタイプじゃなかった。だからバブル期に青春を過ごしたバブル世代ではあっても、「あの頃はよかった」とは思わない。
▼仕事の合間をぬって富田克也監督の映画「サウダーヂ」を観にいった。

信玄公のお膝元甲府は、バブル崩壊後の凋落著しく中心街はシャッター通りと化している。街にはブラジル人があふれ、主人公のラッパー猛は次第に自分たち日本人の窮状は彼らのせいだと思い始める。だが黄金の国ジパングを夢見てはるばる地球の裏側からやってきた彼らとて、仕事がなく見切りをつけて本国に帰る人たちも多い。
▼もう一人の主人公である土木作業員セイジも、年々仕事が少なくなる状況に漠然と不安を感じている。タイに長く滞在していたアルバイトのビンやタイ人ホステスミャオとつきあううち、世知辛い日本への嫌悪感と南国タイへの憧れは募るばかりだ。日本国籍をとるというミャオにセイジは言う。「バカじゃないの。日本なんてとっくに終わってるよ」だがタイに帰っていっしょに暮らそうと提案するセイジにミャオは言う。「あなたタイに何があると思ってるの。何もないよ」ここではみながお互い様だ。みなが隣りの芝が青く見えている。
▼「比類なきリアリズム」と各方面で絶賛の本作。確かにここで描かれていることは僕が毎日見ている光景とそっくりだ。僕が住んでいる街は産業の集積した政令市で、同じ地方都市といっても甲府よりは幾分マシかもしれない。だがイオンなどの郊外型ショッピングモールの進出に比例して中心市街地が寂れ、円高で輸出産業が設備投資を海外にシフトする中、年々仕事が減っている状況は変わらない。街には製造業の二次請の部品工場で働くブラジル人が目につく。以前からあるフィリピンパブのほかに、近年安い中国台湾料理の店が増えた。
グローバリズムと移民の問題はヨーロッパほど顕在化していないが、猛のように快く思わない人もいるだろう。だがつい半世紀ほど前までは、日本人の方が貧しさから抜け出して一旗あげようと、新天地を求めて満州やブラジルに渡っていたのだ。今後再び流れが逆転しても何の不思議もない。国内だって故郷にとどまったまま仕事をえられる人は少ない。僕がいっしょに働いている二次三次下請の作業員は、沖縄、九州、北海道、東北の人ばかりだ。僕自身知己を頼って親元を離れて働いている。
▼タイトル「サウダーヂ」は郷愁、憧憬、思慕、せつなさを意味するポルトガル語。映画にはミャオに袖にされたセイジがシャッター通りを歩きながら、まだ華やかだったバブルの頃の幻影を見るシーンがある。人はみな理想郷を求める権利はあるが、僕はバブルが異常だっただけで、あの頃がよかったと思う日本人の感覚の方が狂っていると思う。





ウチゴハンは月曜はペンネグラタンに水菜の牛肉巻、火曜はチキンカレーとハムサラダ。水、木は連日の接待でお休み。金曜はパスタに温野菜サラダ、土曜は鮭のムニエルに餃子。日曜はマーボ豆腐にチキンサラダ。一週間なんてあっという間だ。感傷にひたるヒマもない。