悲劇か喜劇か

昨日丸一日降り続いた雨が上がり、今日はまた初夏の陽射しと乾いた空気が戻ってきた。雨があがった後は蛙がやかましいくらいだ。昨日は雨だったが、一昨日につづいて今日もフロントガラスにてんとう虫がとまっていたね。
▼昨日は沖縄復帰40年の節目の日。カーラジオから野田総理のスピーチがいきなり流れてきてびっくりした。なぜって彼は消費税問題に専心してると思っていたから。シングルイシューでもたいへんなのに訪米したり沖縄行ったり大忙しだ。満足に寝るヒマもないだろう。寿命も確実に縮まるはずだ。実際小渕さん、大平さんは在任中に亡くなっている。安倍ちゃんなんかプレッシャーでおなかが痛くなってやめちゃったもんな。つくづく総理の職責はたいへんなものだと思う。多少のことには目をつむってやればいい。あんまり悪く言ったらかわいそうだ。
▼さて、先日作家の久世光彦氏が日経夕刊のコラムでカート・ヴォネガットに触れていて懐かしく思い出した。ヴォネガットは「スローターハウス5」「タイタンの妖女」「ローズウオーターさん、あなたに神のお恵みを」「チャンピオンたちの朝食」などなど邦訳されているものは片っ端から読んだわが青春の愛読書である。コラムにも書かれていた通り、70〜90年代にかけて活躍したアメリカの人気作家で、ジョン・アーヴィングの師匠でもある。
▼「オマエがそんなに頭がいいのなら、どうしてオマエは金持ちじゃないんだ?」コラムにも紹介されていた通り、ヴォネガットの特徴はなんといってもその言い回しにある。第二次世界大戦に従軍してドイツ軍の捕虜となり、ドレスデン空爆を体験したことがトラウマとなって、思想的には反戦、反権力、社会主義に傾倒した。彼独特のペーソスで、人類に対する愛憎を表現する作家だった。出典は忘れたが「心の優しい人間が若いころ一度くらい共産主義にかぶれたっておかしくないだろ?平和で平等な世界を夢見て何が悪いんだ?」なんてフレーズにもときめいたもんだ。
▼それでも僕は学生の頃の一時期、麻疹にかかったように貪り読んで以来ヴォネガットからすっかり遠ざかってしまった。理由はよくわからないが、弟子のアーヴィングの方が全然おもしろかった。言い回しは似ているが、はるかに複雑だ。結局のところヴォネガットは悲観的に過ぎた。体裁は喜劇なのに。ちょっとできそこないの喜劇という感じだ。ペーソスは「すごくおかしい、ちょっとかなしい」くらいがちょうどいい。まずは現状を受け入れること。そうでないと一歩も前に進めない。
▼昨日のウチゴハンはたっぷりのアサリ汁に鶏の梅肉巻。

そして今日はポークソテーに親子サラダ。

アイロニーや警句が無力だとは言わない。でも教訓はなるべくならシンプルかつ具体的なものがいい。僕は先日長男に「男と男の約束」「お父さんが人生でオマエにする最初で最後の頼みごと」と前置きした上で「うちに帰ったらまず最初に風呂に入ること」を約束させた。僕の母親はかなり浮世離れしている方だが、僕が結婚するとき「なるべく夫婦でいっしょに行動しなさい」という言葉をくれた。僕が結婚生活で心がけていることは、今となっては唯一それだけだ。結果僕たち夫婦はとてもなかよしだ。
▼ちなみにヴォネガットの「スローターハウス」もアーヴィングの「ガープの世界」も「明日に向かって撃て!」「スティング」のジョージ・ロイ・ヒルが映画化している。こういうのって友情出演ならぬ友情演出ってことになるのかな。