妻をめとらば

お彼岸を過ぎても30度を超えていた気温が、日中でも25度に届かなくなり、朝方には15度を下回るなど、ここ数日の間にようやく季節に追いついてきた。固定制10月10日の体育の日を過ぎたあたりから急速に深まる秋を実感した昭和の時代と、今年は季節の歩みが同じである。
▼いろいろ諸事情はあるかもしれないが、ここはひとつ旗日を元の日付固定式に戻して、その日にまつわる行事はその当日に行うようにした方がいいと思う。成人式とラグビー日本一決定戦(関係ないか)は1月15日、小中学校の運動会は10月10日、文化祭は11月3日というように。そうでないと祝日は意味のない単なる休日になり、学童と公共機関以外は誰も休まなくなってしまうだろう。それでは国民の祝日ではなく公務員の祝日だ。現に日本国棄民たる建設労働者には土休も祝日も事実として存在しない。
▼お役所勤めの僕の先輩などは、毎週土日休みだから日曜に特に有難みも感じないし、どこも混雑するのでGWや盆休みは迷惑なくらいだとおっしゃるが、一週間にわたる連休なんてついぞ経験したことのない建設族の僕なんか、ただ日曜が休みというだけで天にも昇る心地である。日曜の特別感は平日の代休では代えがたい。祝日もそうだが、やはりそこにはみんなの休日、安息日特有の華やいだ雰囲気がある。個人的には平日の代休より、仕事があっても日曜の方が好きなくらいだ。
▼日曜の楽しみの最たるものは新聞の日曜版である。今日は一面の正反対の文化欄に作家の三木卓さんが「遥かなる神楽坂」という短文を寄せていて楽しく読ませていただいた。それは、キャバクラの女の子に夢中になって会社のお金を五億円も使い込んだ男の話から、引揚者の子の自分には考えられないことだという風に始まる。
▼昭和三十年に早稲田大学に入学した三木さんは、入学パンフに書かれた様々な教授たちの案内の中に、神楽坂の芸者に入れあげて心中なんてことにならないようにという忠告を見つけて「腰を抜かした」と書く。そして、早稲田の学生は早慶戦の後新宿に繰り出してドンチャン騒ぎをするという話は東京に出る前からきいていたが、神楽坂の芸者なんてどうやって会いに行けばいいのか想像もつかないと続ける。
▼卒業するまで何人もの女性にフラれた三木さんも、待てば海路の日和ありで社会人になって生涯の妻と知り合う。その彼女に、ある時三木さんは「わたしあなたが玄人と遊んでも許すけど素人だったら許さない」と言われ絶句する。玄人って昔の文人じゃないんだから…しばらくして三木さんは、それを彼女の家柄のせいじゃないかと考える。そういうことが普段話されているような家で育ったのではないか。
▼その頃三木さんが奥さんに一番食べたいものをきいた時のことだ。まだ貧しくて毎日おなかをすかせていた時代である。ハンバーグとかとんかつとかいう答えを想像していた三木さんに、彼女は「アワビのミズガイ」と答えた。「それはなんだい?」「おいしいのよ。お父さんやお兄さんがそれでよくお酒を飲んでたわ。わたしたちのお膳にはつかないけれど…」「ふーん」
▼エッセイは「彼女の家は伝統ある商家である。僕は引揚者の子が知らない未知の日本がそこにあると思った。神楽坂、と反射的に思った」と結ばれていた。入学一年目から早慶戦の後新宿に繰り出した僕も「神楽坂」がその昔そのような場所だったことは知っていた。秋の夜長にはその名残を求めて牛込神楽坂界隈をよく彷徨ったものだが、残り香すら嗅ぐことはかなわなかった。
▼警備員や営業販売の求人が毎日掲載される他紙と違って、日経は求人欄も日曜版だけである。36面の文化欄からスポーツ欄、読書欄を経て、最後に僕はこの求人欄をくまなく眺める。そこには独立行政法人や金融機関、外資系の一流企業が、大卒要英語力というような条件と共にエンジニアやトレーダーを募集している。反射的に神楽坂、と思った三木さんなら、霞ヶ関とか兜町、丸の内と思うかもしれないが、僕には何も思い浮かばない。ただ自分に縁のない世界だということはわかる。
▼これまでの結婚生活が、「思っていたより美人」で「気の強さが表れていて」「いいとこの出」の三木さんのところと似たような発見の連続だった僕の妻の最大のうれしい驚きは料理の腕前である。

木曜は煮込みにマカロニグラタン。

金曜は炊き込みご飯にキッシュ。

土曜は家族の好評に気をよくして今週二度目の野菜スティック&つけ汁うどん。帰りにスーパーで買ってきた安売りの刺身をアテに、純米酒のひやで程よく酔った。