日本とブログの閉塞感

雨あがりの月曜は雲ひとつない秋晴れである。秋の空は本当に高い。天高く馬肥ゆる秋とはよく言ったもんだ。こんな日に仕事なんかしてちゃいけない。ということで昼から仕事をあがって妻とデートすることにした。
▼しかし13時にうちに帰って着替えて出ていってもランチはたいてい14時まで。行く店行く店準備中で、結局15時近くになってようやくイオンモールの中の一軒に落ち着く。腹は減るわ中途半場で夕飯はまずくなるわ妻と喧嘩になるわで散々な一日だった。めざまし占いでしし座1位だったのにおかしいな。半ドンがずれ込んで何度も失敗してるのに懲りないのは、こういう休み方しかできないからだ。秋の空に誘われた自分がバカだった。
▼さて、プライベートがこんな調子だからブログに載せるような変化に乏しい。忙しいのは僕だけじゃないし、みんなどうしてるんだろうと思っていたら、齢八十にして再び国政に打って出る石原慎太郎のニュースが飛び込んできた。僕がこのネタに飛びついたのは初めてではない。六年前今はなきOCNブログを始めた当初も、七十四にして三選をめざす石原氏を「カッコイイ」と書いた記憶がある。その理由はたしか次のようなものだったと思う。
▼若いころは、権力に反発することがカッコイイことだと思っていた。しかしよくよく考えてみると、権力を持っている人より権力に反発している人の方が圧倒的に多い。それは、責任のない立場で権力を批判している方が、実はずっと簡単だからだ。A新聞に代表されるジャーナリズムの態度である。最近の橋下維新代表へのバッシング記事などは、権力への反発自体が自己目的化して自身の報道倫理には無批判な典型的な態度だと思う。
▼話が逸れた。そして、石原氏が圧倒的に支持されるほどに、日本も日本人ももう若くはないのだと結論づけた気がする。三選どころか四選目も圧勝した石原氏について、尊敬する人気ブロガー女史はこう書いていた。都知事選にはそもそも最初から石原氏の対抗馬がいなかった。石原氏は戦後日本人がみんな鼻を啜っている時代に、自家用車に乗ってセーターを着てフランスの詩を嗜むような一種の特権階級に育っている。そしてそのような特権階級は、日本ではもう石原氏以上の世代にしか存在しないのだと。
▼相変わらず切れ味は比ぶべくもないが、僕も女史からそんなに遠いことを言ってるわけではないような気がする。日本人は小粒になった。そしてそのことに自分自身で気づくほどに日本人は成熟したのだ。石原氏八十、小粒の息子伸晃がもう五十七である。全共闘から転向してバブルを演出した団塊世代の子供たちがもうアラフォーなのだ。みんな夢から覚めてもおかしくはない。
はてなダイアリーに移行した後も、僕は石原氏四選について触れている。ああ、こうして時事ネタを交えながらでないと続かないブログというのも情けないなあ。仕事とテレビと新聞とマンネリのブログだけじゃさみしすぎるね。

日曜はコンニャクの肉巻にスパニッシュオムレツにおひたし。

そして月曜は金木犀の香りとともに絶世の美女が…