人間らしく

霜月に入り今年最初の寒波がやってきて、ここ二日ほどずいぶん寒かった。もう晩秋だ。僕のワードローブは上着少々(冬物のみ)セーター多め、シャツ少々なので、秋は早くセーターを着るくらいの気温になってもらわないと困るのだが、ここ数年はなかなか寒くならず不自由した。
セーターをかぶりて変わる景色かな
▼土曜の工事が順調に進んだおかげで望外の日曜の休みが得られた。去年行ったジャズイベントの日だったが、工程上とても休めそうになかったので、妻は僕と行くのを諦めて友人を誘ってしまった。急に行けるようになったからといって、前の日の夜になって今更ひっくり返すのも相手に失礼だ。僕は映画を観に行くことにした。
▼子どもたちが部活に出ていっても、妻は掃除に洗濯とバタバタしている。僕に朝食を出しても台所から離れないので「何してんの?」ときくと「夕食の準備」と答える。彼女はお出かけの日は必ずこうして仕込みをしているのだ。その時ふと思った。家事をする女性に完オフはないのだと。定期の休みがなく、僥倖のように降ってわくか、ゲリラ的に隙を見て早引するしかない僕の境遇によく似ている。
▼ただブログで嘆くしか能のない僕と違って彼女たちはそれでもうまくやっている。他の多くのことと同じように、時間の使い方も男性より女性の方がずっと上手だ。たいていの仕事は、やらせさえすれば女性の方ができるにちがいない。つまり人類にはまだノビシロがあるということだ。
▼街まで妻といっしょに出て駐車場で別れる。こんなに早く街に出るのも久しぶりだ。お目当ての映画は夕方からなので時間はたっぷりある。陽がさすと汗ばむほどの陽気に、七五三詣での家族連れの姿が目につく。繁華街を三周くらいして緑地帯のベンチに腰かける。強いようで弱い微妙な光だ。冷たいようで身震いするほどでもない秋の空気である。
▼本屋に入り適当な本を物色していると、三木卓さんの「K」という単行本が新刊コーナーに平積みされていた。帯に「逝ってしまった妻・Kへの想い」とある。すると先日の日曜版への寄稿は、この妻への追悼文の一部のようなものだ。奥付に初出が群像2月号とあるから半年たっても同じようなことをしているわけだ。無理もない。過去ログの失恋話でも書いたが、喪の仕事には最低半年はかかる。自分をフッたつれない女でさえ20年以上たった今も折につけ思い出されるのだ。まして長年つれそった愛妻ならなおさらだろう。
▼映画は「ローマ法王の休日

ローマ法王の休日 [DVD]

ローマ法王の休日 [DVD]

邦題が「ローマの休日」を意識しているのは明らかだろう。有名なコンクラーベで選出された新しい法王が、プレッシャーに負けて逃げ出すドタバタ劇を描いたコメディーである。ただヘップバーンのアン王女が、最終的に王族としての使命を自覚して王女に戻るのに対し、この法王は最後まで人間のままだ。連れ戻され、広場で待つ信者とバルコニーごしに対峙してもなお「私には無理だ」と言って引っ込んでしまう。
▼途中何度も笑い声に包まれていた館内も、この結末には静まりかえってしまった。大団円ではなく大どんでん返しで突然終わり、観客は宙吊りにされてしまう。評価は別にして、この映画で僕が想起したのは日本の皇族のことだ。つまり適応障害になってしまったプリンセス雅子さまと、公務を淡々とこなす現天皇皇后両陛下のことである。

金曜はミネストローネ。土曜は逆に(何が逆?)クラムチャウダー

単に役割をこなすだけでもたいへんなことだ。