冬の時代

昨日は立冬。暦の上ではもう冬である。今年は例年になく順調に季節が移ろい、日に日に秋が深まってゆく。11月に入るとスーパーで売られる秋刀魚も頭がとれてフライや開きになり、食卓は夏野菜の鮮やかな色から根菜の暗い色調に変化し、果物は桃、梨、葡萄がいつの間にか柿、蜜柑、林檎に主役の座を譲っている。もっとも食べ物の旬は、いつの年も同じように移り変わってゆくものだが。
米大統領選でオバマ氏が再選された。オバマ氏は現在51才。つまり今の僕とそう変わらない年齢で合衆国大統領に就任したことになる。ケネディ大統領だってそうだ。早いうちに人生の目標を定め、その目標に向かって努力した者とそうでない者の差は、かくも大きくなるものかと愕然とする。
▼別に大統領みたいに大それたことでなくてもいい。何かひとつ、小さなことを成し遂げるために人の一生はある。それは他人には与り知らぬことだ。そして何か事を成すには、人生は短すぎるくらいなのだ。だから少しでも早く自分で自分の人生の設計図を引いてしまわなければならない。大事なことは、早いうちに自分の人生を決めてかかることだ。
▼以前のブログでも書いたが、米大統領選には想い出がある。今から24年前の冬のことだから、オバマ4年、ブッシュ二期8年、クリントン二期8年の前の父ブッシュ就任の年のことだ。とてつもなく寒い冬の深夜だったから、大統領選の勝利宣言ではなく就任演説だったかもしれない。今は亡き友人と、東京近郊の友人の親戚の家で、その模様をテレビで見た。
▼経済学部で卒業年次の彼は「ケインズ政策擁護の」卒論を書き終えたばかりだった。それともその親戚のうちには当時頻繁にお邪魔していたので、それはまた別の折だったかもしれない。なにしろ僕の人生のうちで一番記憶が曖昧な頃の話だ。
▼いずれにしろ、その日は友人の両親が田舎から出てきていた。友人の父が、愛息と義兄のために持参したホンモノの松坂牛のすき焼をたらふくよばれた後、これまたホンモノの鯨ベーコンのサクをカマボコのように自分で厚く切ってアテにしながら、僕はその家のジョニ黒を抱え込んで離さなかった。いつしか友人のご両親も親戚の子どもたちも寝室に消え、その家の当主であるおじさんと友人と僕の三人だけが居間のコタツに残ってテレビを見ていた。
▼神前でも教会でも日本人の結婚式だって神様の前で愛を誓うのは儀式にすぎないのに、神の名の元に大統領の職務をまっとうすることを誓う新しい大統領をさして、「アメリカだって宗教国家じゃないか」と揶揄する僕に、その家がクリスチャン一家であることをあてこする意図がなかったとは言えない。なにしろ当時の僕は、酔っぱらっては誰彼かまわず突っかかっていたのだ。
▼夜更けまで杯を酌み交わしながら、友人ともおじさんともまともな会話を交わした記憶がない。三人ともテレビ画面を見つめたまま目を合わそうとはしなかった。酔い潰れて横になった僕に、友人は毛布をかけてくれた。薄れゆく意識の中で、僕は友人に向かって「そんなことしなくていい。自分はそんなにやさしくしてもらうような人間じゃない」と一生懸命叫んだが、声にはならなかったかもしれない。

日曜日に妻が仕込んでいったのは、煮込みハンバーグとカボチャサラダ。

煮込みハンバーグのソースがあまりに大量だったので、急遽パスタを茹でてもらった。
▼月曜は仲間の第二次東北行の壮行会でウチゴハンはお休み。微力ながら幹事をさせてもらったところ、声をかけた6人全員が集まってくれた。「一人でも二人でも来てほしい」震災後すぐにがれきの片付に行った時に窓口だった地元の建設会社に請われ断りきれなかったと同僚は言う。とにかく人手が足りない。どんなに復興予算を積んでも人が集まらないらしい。全く縁のない人たちにとって、やはり東北はかなり遠い場所なのだ。
▼「もう行くしかない」家族を残して東北へ行く決断をした同世代の三人には敬意を表するが、どんなに憧れようが敬服しようがそれは他人の人生だ。行動する友人の話だけを聞いて感心する。悪酔いこそしなくなったが、やってることは学生の頃と変わんないな。

火曜は鮭のソテー、蒟蒻と大根のサイコロ煮、厚揚げのトマトソースかけにミネストローネ。ビーンズが入っているのがいい。

水曜は豆腐ハンバーグに豚汁。