社会人一年生

昼から降り出した雨が夜には本降りになった。雨降りの日は暖かい印象があるが、昨日は朝から寒々しかった。去年のブログを開いてみると、同じ11日頃に「冷たい雨」の記述がある。去年は秋らしい日がほとんどなかったような気がするが、こうしてみると思ったほどの違いはないのかもしれない。
▼ここのところうまく寝つけない日が続いている。高い所で重量物を扱うリスクの高い仕事をしているので、心配でおちおち寝てられない。危険な工事を採算を考えながらやるのは本当に難しい。実際に作業をする下請もそれなりの金額を要求してくるし、安全対策はいくらやっても安心とはいかず、膏薬を貼るように対処していくとお金がいくらでも出ていってしまう。
▼自分のところで利益を極大化するには、単純に一円でも多くもらい、一円でも支払わないことだ。利益をあげるにはいろんな方法があるかもしれないが、最終的に手元に残るのは、入ってくるお金から出ていくお金を引いた差額だけである。そこに曖昧な部分はいっさいない。会社の利益を第一に考えるなら、極端な話相手をだましてでもたくさんせしめ、恨まれても払わない覚悟が必要だ。
▼僕は自分でもつくづく商売に向いてないと思うが、それは僕が人がいいからというわけではないようだ。今の社長から、「おまえが数字を残せないのは、いいかっこしいだからだ。自分がいい顔したいばっかりに、お客さんには簡単にまけてやり、下請には大盤振る舞いする。私的な体面を守るために会社に残るはずのお金を犠牲にするなんて許されることだと思うか?横領よりタチが悪い」と言われたことがある。本当にその通りだと思う。
▼僕の考え方は①もらえるお金は(単価、あるいは相場が)決まっている②質の高い仕事を安全にやろうとすればそれなりにお金がかかる③結果的に利益が出ないのは仕方ない…となるが、社長に言わせればそんなものは仕事ではないそうだ。仕事は利益を残すためにやるのが大前提なので、①お客さんに仕事をくれ、お金をくれというのは恥ずかしいことではなくむしろ当然のこと②受注金額が決定したら、まず会社に残る利益をぬいて予算をたて③その金額で下請が納得(満足)するような工事のやり方を徹底的に考える。これが普通の仕事の考え方だ。
▼受注金額がいくらであっても利益に手をつけることは許されない。たとえ自分がとってきた仕事でも、受注金額は自分のお金ではなく会社のお金で公金なのだから、困難に際しお金を使うという解決策は存在しない。本当に下請のことを考えているのなら、徹底的に効率のいいやり方を考え、段取りをよくし、手もどり(二度手間)をなくし、自分も手伝うことだ。つまり楽して儲かる話なんてないから身を粉にして働きなさいという教えである。
▼会社に入ったばかりの頃、先代の社長に「この仕事って差額商売じゃないですか」と言ったことがある。暗に「下請をいじめていくらピンハネするかで利幅が決まるような仕事なんて気が進まない」と言ったつもりだったが、「だから?発想の転換だよ」と相手にされなかった。その時はなぜもっと話してくれないんだろうと思ったものだが、おそらく口をきく気にもなれなかったにちがいない。
▼仕事って職種にかかわらずそういうものだし、そこに無限の工夫の余地がある。前の社長には突き放され、今の社長にボロカスに怒られながら、ようやく最近になって社会人のイロハが理解できるようになってきた。しかしわかることとできることはまた別のことだ。振り返れば十年タダメシ食ってきたようなものだ。恩返しできる戦力になるまで時間が残っているだろうか。
▼とはいえ昨日で難所も越えた。また休む間もなく次の難工事が待っている。その繰り返しが仕事であり人生だ。頭を使い、体を動かすことを面倒だと思う人にとって、人生は辛いだけだろう。人生を楽しむには発想を転換するしかない。

長男が合宿で不在の金曜は例によってきのこたっぷりスパ。

土曜はアボガドディップとシュリンプのドイツパンのせ。