リターントゥフォーエバー

下の子が理科の時間にふたご座流星群の話を聞いてきたので、昨日は寝る前と起きてからの二度、ベランダに出てオリオン座の左上あたりに目を凝らしてみた。一度目はふたご座がわからなかった。二度目はオリオン座もどっかにいってしまった。なにより寒くて「ちょっと見てみるか」程度の覚悟では外にいられたもんじゃない。けど星空を見上げる習慣なんて僕にはなかったことだ。何か心境に変化でもあったかな。
▼寒くなるこの時期は訃報も多い。世間的な大物度で言えば森光子さん、中村勘三郎さんだろうが、特別な感慨はない。僕は歌舞伎も新劇も観たことがないからだ。何度か書いたように芝居は好きだったが、これは嫌いな人を探す方が難しいだろう。イナカではどちらかというと観に行った方だと思うが、空前の小劇場ブームに沸いた東京ではむしろ観てない部類にはいるかもしれない。
▼今週初め小沢昭一さんが亡くなったことを「小沢昭一的こころ」で知った。今テレフォン人生相談では「あれから一年」と題して市川森一さん特集をやっている。こちらの方が僕にはずっと身近に感じられる。AMしか入らない軽バンのむっすー号に乗り変わって以来慣れ親しんでいることもあるが、学生時代バイト先の社長の運転するバンの助手席で耳になじんでいるからでもある。
▼90才を超える森光子さんは大往生だが、50代の中村勘三郎はいかにも若い。今はガンでもなければその年で亡くなる人は稀だろう。それでもいないわけではない。僕の柔道の恩師や先述の社長も似たような年でガンで亡くなっている。普通の人に比べれば短いように思えるが、勘三郎も恩師も社長もひと仕事やり遂げた感はある。普通の人でもそこから先は第二の人生だ。戦前までは第一までが普通だった。やはり第一でやることはやっとかないと。
小沢昭一さんの享年は83才。先ごろ亡くなった政治評論家の三宅さんもそう。TVタックル仲間のハマコーも同じ。このあたりがだいたい平均的なところで、それより早いと少し早いかなという気がする。遅い子の妻の両親の年齢が今ちょうどこのくらいなので、妻は特に関心のある人たちでもないのに、彼らの訃報に接してどんよりしていた。
▼僕の見るところ、妻の両親はここ数年そう変わらない。現在75才の僕の両親よりむしろ若いくらいだ。それは僕の両親がここ数年で一気に老け込んだからだろう。年に一二度しか顔を合さないのだから外見の話ではない。電話の会話が噛みあわないので耳が遠くなったかなと思ったらそうでもなかった。ただ自分の喋りたいことを喋っている。思い込みだけで会話しているのだ。これはオレオレ詐欺被害者の一番の特徴だそうである。まあ僕が妻の親より自分の親の変化に敏感なのは当たり前だ。妻は妻で自分の親の変化を気に病んでいるかもしれない。
▼今年鬼籍に入った人で僕が一番気をとめたのは画家の宇佐美圭司さんだ。「絵画の方法」「心象芸術論」「20世紀美術」「廃墟巡礼」これらの著作に、僕は都落ちして地元で塾の講師をしている頃出会った。授業が始まる前の事務室で本を読んでいると、ある講師に「まだそんな本読んでるんだ。あきらめてないんだね」と言われてびっくりした記憶がある。その人はあきらめてそこにいる人なのかもしれない。
▼宇佐美さんの絵は人の形を連続して並べたバリエーションで、一見してダヴィンチの図版が思い浮かぶ極めて特徴的なものだ。ピッチングフォームにも似たその人型のモチーフを、宇佐美さんはライフに掲載されたロスの黒人暴動の写真から得た。「投石する人」「かがみこむ人」「たじろぐ人」「走り去る人」暴動と野球に共通するこれら四つの型は人間の基本動作なのかもしれない。
▼氏は26の時に出会ったこのモチーフを生涯をかけて反復した。うちの下の子は野球部で毎日反復練習している。そして僕もやはり何かを反復しているに違いない。人間存在とはそのようなものなのかもしれない。僕は美術プロパーではないので難しいことはわからないが、宇佐美さんは最も影響を受けた人のひとりである。

水曜は妻お得意のビーンズカレー。木曜は鍋で写真なし。寒さが緩んだ今日はブリ照りに根菜サラダにミネストローネと普通のごはん。

エラのライクサムワンインラブの代わりに買って帰ったのはチックコリアの名盤。

Return to Forever

Return to Forever

これもあの頃繰り返し聴いた一枚だ。