初心忘るべからず

年も押し迫り忙しさもピークだ。昨年も20日を最後にブログの更新が途絶えている。今年のうちにやっておかなければならないこと、年明け早々の仕事の段取り、目の前に迫った連休工事の準備。日々の現場をこなしながらこれら三つのことを同時にやらなければならないのだから忙しいのも当たり前だ。しかし昨日解禁された会社に届いたお歳暮の山分けはロクなものが残っていなかった。こんなに消極的な選択で悩んだのも久しぶりだ。18時に会社に着いてこれだ。みんな仕事してんのかな。
▼土曜は未明からの雨が午前中いっぱい降ってピタリとやみ、夜は北風がびょうびょうと唸り声をあげていた。一週間前からの予報がどんぴしゃりだ。今日明日の天気なら、ネットの雨雲ズームレーダーを見れば素人目にも一目瞭然である。これでどうして気象予報士という職業が成り立つのか不思議だ。以下は帰省を控えた妻が、ある日の夕方、乗って帰る愛車を洗車する際の僕とのメールのやりとりである。
▼妻「あったかいうちに洗っとくわ。寒いとたいへんだから」僕「雨が降る前はあったかいからね」妻「あ、降ってきた。どうしよう。やめた方がいいかな」僕「予報では15時から18時までだったから、降り始めが遅れてるのか、雨になるのほどの雲じゃなかったのか」妻「けっこうひどいけどやむかなあ」僕「雨はあがる前に強く降る」ほどなく雨はやみ、結局洗車場で待つことにした妻は「ほらね(パパの言った通りでしょ)」と誰に言うともなくつぶやいてひとりルンルンで洗車してきたらしい。まあこれくらいなら僕でもお手の物だ。
▼天気の話なら他愛もないが、それでも外せばブツブツ言う人もいる。まして国民の生命と安全に関わることで、当たっても当たらなくても成り立つコメンテーターっていったいどういう職業なんだろう。発射延期報道の矢先に打ち上げられた北朝鮮人工衛星。地対空ミサイルとイージス艦を展開して迎撃態勢を整えた上で「破壊措置命令」だとか「毅然とした態度」とか「断固とした措置」と威勢のいい言葉を並べる。こういうのを花火を打ち上げるという。つまりは衆院選の選挙運動である。体制維持の目的で打ち上げ花火を利用するという意味では北も日本も変わらない。
▼実際には震災直後にメルトダウンしていた福島第一原発チェルノブイリ以来最悪の原発事故にも関わらず、NHKを始め各局解説委員やコメンテーターは「メルトダウンしてないから事故のレベルはスリーマイル以下」と言い続けてきた。痴漢したキャスターは責任を問われても、福島原発事故報道の責任は誰も問われない。一般市民のパニックを防ぐため、早い段階で報道規制があったのか。ないとしたら広く人々に真実を知らしめるマスコミの能力そのものに疑問符がつく。
▼僕がこの手のコメントで感心したのは第二次イラク侵攻の特集番組で、元陸自北部方面総監志方某氏のものである。開戦直後快進撃を続けていた米英連合軍の華々しい戦果の報告が滞って数週間が過ぎた頃のことだ。居並ぶパネリストがみな、ブレアが議会で口走ったメディナ機甲師団とかの影に怯え、戦争の長期化とドロ沼化を懸念する中で彼はこう言い放った。
▼「戦況を全て詳らかにする馬鹿はいませんよ。なんでそんなことしなきゃいけないんです?戦争には情報戦という側面もある。相手も聞いてるんですから。むしろ苦戦しているという嘘の情報を流しておびき出さなきゃいけない。メディナ機甲師団なんてものはもう(とっくにやられて)存在しないんじゃないですかね」
▼これ以上シロートの戯言につきあってられないと言わんばかりのものいいに、一瞬スタジオが凍りついてしまった。その後氏の姿をあまり見かけないが、電波芸者たるパネリストの存在どころかメディアの存在意義そのものを否定する態度ととられ、お声がかからなくなってしまったのかもしれない。
▼今年はジャーナリストの山本美香さんも取材中に銃撃を受け命を落とした。仮に彼女の行為が何かを伝えることに誠実な態度だとしたら、安全なところでしたり顔でコメントする日本の言論人の立ち位置は正反対にあると言わねばなるまい。
▼NスぺがまだN特だった頃の磯村特派員に憧れて、僕は小学校の卒業アルバムの将来の夢に「特派員」と書いた。以来現在に至るまでいろんな職業に携ってきたが、初心を忘れた僕はついに山本美香さんのようにはなれなかった。若い頃は酒場でクダを巻き、最近は少し大人になってブログで発散するようになったものの、結局のところ自分が本当にやりたいことに主体的に関わっているのでない限り、何を言っても虚しいだけだね。

金曜はトマト鍋。

東北組が早くも正月休暇でお土産を持って帰ってきた。