バブルの実相

正月来の厳しい寒さがようやく緩んできた。四日、五日は半日勤務。身体というより気持ちがついてこない。凍てついた心が折れてしまわないように、今はただひたすら最低限の仕事をするのみだ。五日に妻と下の子が、六日には上の子も合宿から戻ってきた。明けて早くも八日がたつ。正月の帰省がウソのようだ。
寒中の仕事始めは暖気運転
お土産を配らぬうちに松がとれ
▼大晦日に買った本の感想がまだだったね。原田ひ香の「母親ウエスタン」と畑野智美の「海の見える街」。日経水曜夕刊書評欄で中間小説(こういう言い方が適当かどうかわからないが)担当の北上次郎氏が昨年のベスト3にあげていたうちの二冊。短い休暇には肩肘張らないものがいい。小難しいものやノンフィクションではリラックスできないもんね。
▼書棚を物色して一冊目を見つけた後二冊目を見つけるのに少し手間取った。その間に、分厚い割に安っぽいブルーの背表紙が目に飛び込んできた。東良美季著「東京ノアール」。それはまるでビニ本のように綺麗にコーティングされた、アダルトビデオのパッケージのような装丁だった。「消えた男優太賀麻郎の告白」というサブタイトルのその本が僕の目に止まったのは、タイトルというより第一にその装丁と、次に東良美季という珍しい著者名からだった。
▼酔って人なつっこい笑顔を見せる小柄な男に、僕は高田馬場の雑居ビルの一室で一度だけ会ったことがある。それが東良美季さんだった。校了前で忙しい時は、校了前じゃなくても行くあてのない若い編集者たちは、編集室に泊り込むことが多かった。忙しければ忙しいほど、僕らは「ガソリンを入れる」と称し、深夜連れだって近所の居酒屋に抜け出したものだ。
▼「トーラは…」僕がエロ本の編集に携わっていたのは1991年の年初から1993年の3月にかけて。彼は僕がバイトしていた出版社に過去の一時期深くかかわっていたようだが、当時はもう頻繁には出入りしていないようだった。ただ飲んだ席で折に触れてベテラン編集者の口から語られる繊細な人となりと、その耳慣れない名前に想像をかきたてられていた。僕がその時見たトーラさんは、まるで子供のようだったが、今回彼の年齢が僕より八つ上で、父親が俳優の戸浦六宏であることを知った。
▼この本は、主に80年代後半に活躍した伝説のAV男優太賀麻郎の独白という形式を借りて、バブル前夜から現在にかけてのAV業界の変遷と、業界に関わった人間たちの生き様を活写すると同時に、著名なデザイナーだった父親との葛藤を太賀に語らせることで、そこに自らの父親との関係性を重ね、普遍的な父子の相剋の物語として読ませることにも成功している。だが僕がこの本を読んで抱いた感想はまた別のものだ。
▼当時のエロ本業界はグラビアモノと投稿モノ、それにAVレビューが主流だった。そんな中僕はエロ本としては一世代前の、活字とマンガを扱う編集部にいた。同じ旧世代ジャンルの中でも主役の座は官能小説から体験告白へ、劇画調エロ漫画からロリコンコミックへ移っていた。出版印刷技術の面でも活版からオフセット印刷、写植からDPT編集への過渡期にあった。本書の中でも同様のことが、90年代に入ると人気は大手AVメーカーからV&Rプラニングなどのインディーズレーベルへ移り、さらにはレンタルビデオからセルDVDへと媒体の移行にも触れられている。
▼「ソニーvs松下東芝連合のビデオテープ規格戦争で、普及を後押ししてVHSの勝利に一役買ったのはAVだ」とか「赤木春彦は単なるAVの感想を批評の域にまで高めた」本書に散見される大言壮語に類することを、当時僕もよく耳にした。曰く「エロ本は広告収入がなくスポンサーがつかないからこそ自由に表現の可能性に挑戦できる」曰く「実売なら週プレなんかよりずっと上」などなど。編集部に出入りするライターやカメラマンが口にするこの種のセリフを、僕は少しこそばゆい感じで聞いていた。
▼当時はエロの業界に限らず空前の競馬ブーム、空前のバンドブーム、空前の小劇場ブームだった。何をやっても受け入れられた。何をやっても金になった。何をやっても許された。誰でもいっぱしの口をきくひとかどの人物になることができた。バブルとはそういう時代である。この本を読むとそのことがよくわかる。
▼今でも時々考えることがある。もしもあの時父の諫言に聞く耳を持たず、東京に留まってエロ本の編集を続けていたらどうなっていただろうと。もしバブルの到来がもう少し遅かったら、あるいは僕がもう少し年をとっていたら、バブルを東京で、学生ではなく社会人として迎えていたら、つまりは僕がトーラさんや太賀麻郎と同じ世代だったら…この本にはその答えが書いてある。


五日はとんすき。翌六日はブリ照りにミネストローネ。
もしあの時地元に戻っていなければ、少なくとも妻と結婚することはできなかった。ホントにすんでのところだった。ギリギリセーフだった。