イヤシイだけ

雨降り前で今日は幾分緩んだが、今年は間違いなく寒い冬だ。確か去年も豪雪被害が出るほどの厳しい冬だった気がする。猛暑の夏にはまた別の理由があるとして、一般に信じられているのとは逆に、長期的なスパンでみれば地球は温暖化というより氷河期に向かっているのかもしれない。
▼さて、今年のお正月の心残りはおいしい刺身が食べられなかったことである。原因は昨年末から流行したノロウイルスのニュース。僕の母も妻の母も見事にこれに反応した。「ナマモノはコワイから」「買ったその日に食べないとダメ」判で押したように同じことを言う。過剰防衛反応は年寄に典型的な態度だ。自分を防衛するのではなく、子と孫の身体を心配してのことである。年寄はいくら注意喚起してもオレオレ詐欺にひっかかるはずだよ。
▼話が逸れた。帰省直前、年も押し迫ったスーパーに並ぶ年末年始用の豪華な刺盛を横目に「あともう少しでもっといいのが食べられる」とガマンしたのが完全に裏目に出た。暮れにあれだけ並んでいたブリサシのパックが、今はなぜかどこにも見当たらない。あるのは干からびたトンボマグロとチリ産のサーモンのみ。あー、うまい刺身が食べたい。
▼かたや存分に堪能したのが牡蠣である。ここ数年、仲のいい下請の社長が届けてくれていたが、今年は彼が東北に行ったのでなかった。習慣とは恐ろしいもので、ある時はわからないが、なくなって初めて不在に気づくものだ。それで年末からすっかり牡蠣の口になって食べたくて仕方なかったのだが、帰省して予期せぬ僥倖にありつけた。
▼まずは正月の朝の妻の実家のお雑煮。昨年のブログにも書いたが、妻の実家の雑煮は牡蠣と根菜の千切りに焼かない丸餅が入る。

今年は広島の親戚から送られてきたそうで、確かに去年のものより見るからに粒が大きい。お母さんはお餅を食べて出汁が減ると足してくれるので、一碗三粒としても倍の六粒。これを一日の朝、二日の夜、三日の朝の計三度食べた。さらに帰る直前の三日の昼にカキフライにしてくれたものを10粒は食べたろうか。
▼さらにはこちらに戻って、つきあいのある階下の奥さんにお土産を持っていくと、返礼に殻つきの立派な牡蠣をいただいた。これを妻がベーコンの衣をまといカリッと焼けた羽つきのバターソテーにした。

なんという幸運だろう。毎年奥さんの実家から一斗缶で送られてくる自由人さん恒例の牡蠣パーティの模様を垂涎の思いで眺めていたが、同時に僕には無理だと半ば諦めていたのに。
▼実のところ、僕は牡蠣が大の苦手だった。理由はこれまでに二度大アタリした経験があるからだ。一度目は子どもの時。いったん眠った後夜中に目が覚め、後は上から下からとにかく一晩中実家の便器を抱えていた記憶がある。二度目はその忌まわしい記憶が薄れかけてきた学生の頃、近所の居酒屋でバイト仲間の学部生と飲んだ時のこと。一瞬ためらったが「ま、いいか」と手を出したのがウンのつき。以下同文。
カキくえば腹が鳴るなり大アタリ
▼しばらくは懲りて一切手をつけなかったが、二度とも生ガキだったことを思い出して、ある年の冬の忘年会か何かで恐る恐る鍋の中の煮えた牡蠣をつまんでみた。なんともなかった。次に近所の定食屋のカキフライ。なんともなかった。まるで極寒の岩場にはりついた牡蠣に初めて挑戦する縄文人である。それほどまでに牡蠣の食アタリは苦しく、また牡蠣には同時に何度あたってもトライしてみたくなる魅力があるのだ。
▼そしてついに今年、念願の牡蠣祭りを経験するに至った。もう思い残すことはない。十分だ。このブログをもって正月気分も終わりにしよう。また来年だ。その前に今年は夏休みも帰省したい。そして大汗かきながら名店のとんこつラーメンをすすりたい。人間の欲望ははてしないなあ。


水曜はカレー、木曜はチャーハン。献立にも日常が戻ってきた。