ジャパンカースト

ぐずついた天気が続いた後の快晴の空である。この先一週間は文字通り「真冬並みの寒さ」になるはずだが、日中は意外に暖かい。ソーラーパワーおそるべし。ただ明日からはホントに冷え込みそうで今からコワイ。
冬晴れの車中でひとり昼寝かな
▼オーバーヒートでドッグ入りしていた愛社用車むっすー号も復活し、またいつものAMラジオライフが戻ってきた。NHKが二つに民放がひとつ。教育は外国語講座ばかりなので実質的には2ちゃんねるである。わかっちゃいるけどついつい他にないかとチューニングに手が伸びるが、すぐに雑音のひどい外国語放送帯につかまってしまう。
▼有働アナとイノッチの醤油顔コンビで送る「あさイチ」もそうだが、ここAMでもNHKの民放化路線はとまらない。最近のお気に入りは、堀尾アナをNHKからいびり出したニュース10の初代スポーツキャスター藤井彩子アナをアンカーに日替わりのパーソナリティを迎える「すっぴん」。とりわけ水曜Pのダイヤモンドユカイと藤井のからみが全く息が合わずオモシロイ。イライラする藤井を後目にのらりくらりとマイペースなユカイ。愉快だ。
▼その「すっぴん」木曜のコーナーで「スクールカースト」という言葉を知った。学校内に存在する力関係の序列のことだ。ゲストによると、この序列は小学生のうちは個人差による場合が多い。例えば頭がいいとか足が速いとかルックスがいいという理由で活発な子が人気の上位にくる。これが中学高校になると次第に集団化するという。こうした序列がいじめ問題の根っこにあることは言うまでもない。
▼八年間の東京暮らしに見切りをつけて実家に戻った僕は、1993年からの三年ほどを地元で塾の講師をして過ごした。そこは地域最大手の進学塾で教室数も多く、市内のほぼ全域に教室を展開していたが、そうはいっても実際はひとつの教室で三つくらいの学区をカバーしていた。
▼教室のすぐ隣にある中学の生徒が数の上では優勢だったが、教室から一番遠い中学の生徒が学力もありスマートな生徒が多く元気もよかった。この二つの学校の子供たちは反目していたが、一番元気がなかったのは蚊帳の外にあるもうひとつの中学の生徒だった。鈍い僕にもひとつの教室に集まる三つのグループの力関係が目に見えてわかった。そしてそれは受験の結果にも少なからず影響したと思う。
▼このように人が集まるところ必ず、子供の世界にすら序列が生じるのは人間社会の必然である。運動部がこのスクールカーストの上位に位置する特権階級であることはこれまでも書いてきた。同じ運動部の中でも野球やサッカーが上位に、卓球やバトミントンが下位に位置し、また種目的には下位でも実績のある部活が上位くるのはおわかりだろう。僕たちはこの階層を固定化するべきなのか、下位のグループを盛り立てるべきなのか。
▼新米講師の僕は力足らずで元気のないグループを盛り立ててやることができなかった。むしろ一年目の講師としての至らなさを、勢いのあるグループに乗っかることで誤魔化してもらった部分もあったと思う。勝ち馬に乗るというか、運動部を特別扱いすることは、階層の固定化に手を貸すことだ。それを望むのは現在の序列が心地よい人たちだ。
▼最近の報道はアルジェリアのテロに日本人が巻き込まれた事件が9割。残りの1割が桜宮高校その他だ。アルジェリアの問題について、僕は語る言葉を持たない。親友がずっと紛争地域で働いているが、去年の正月に会って以来連絡をとっていない。彼を通じて知り合ったボランティア仲間たちとも音信が途絶えがちだ。桜宮高校については以前にも言及し、今日もまたこうして書いている。部活に明け暮れる高2の長男がいる分だけ、アルジェリアよりは身近な問題かなと思う。
▼畑野智美の「海の見える街」は丘の上にある市民センターの3階にある図書館と2階にある児童館で働く男女四人の物語である。彼らはみな小動物を飼っているか、または心の中に飼っている。人を好きになって、十年あるいは三年も告白できないまま同じ職場でいっしょに働いているような人たちだ。彼らは「友だちなんてひとりいれば十分」と言う。この小説に登場する人たちはみなスクールカーストの下位にいた人たちだ。そしてそれは社会人になってからもずっと続く。それはジャパンカーストがコミュニケーション能力で決まるからだ。
▼彼らはジャパンカーストのスードラではあるが、そう悲惨な風にも見えない。平民の僕はクシャトリアを目指す生活に最近少々疲れ気味で、彼らの日常のリズムが心地よく感じられるほどだ。

火曜は牛肉のソテーにカボチャのサラダにキンピラ。水曜はヨガカレー、木曜はシチュー鍋で写真なし。

今日はブリ照りに白菜と豚肉のミルフィーユにゴボウとこんにゃくの炒め煮。デザートは妻の友人から送られてきたスコーンとジャム。