喫茶店文化

先週来ずっと寒い日が続いている。このあたりは日本でも気候が一番穏やかな地域だが、日中の気温が一桁の日が多い。まさに春は名のみのなんとやらだ。
▼年が明けてこちら半ドンが二回(うち一度は日曜)あった以外休みがない。今年は年度末の割に仕事が薄く、円安差益還元緊急工事もない。グローバル企業は「新たな投資は海外」が徹底されている。担当する事業所の僕のカウンターパートナーも、多くは海外支援に回りひと月毎に新興国と行ったり来たりを繰り返している。裾野メーカーも現地について行かざるをえない。知り合いのメーカーの担当者から「行ってきた」という話をよくきくようになった。
▼だが日本から持っていくしかない高機能の生産設備メーカーや、現地の労働者を指導して工場ごと建設する大手ゼネコンならともかく、大企業の事業所の営繕で食わせてもらっているローカルの土建屋に新たな展開などない。担当の事業所がヒマなら他の事業所に回されるだけだ。担当事業所の仕事もゼロではない。営業活動もある。その上他人の手伝いで休むヒマがないというのもおかしな話だ。まあいい。自分ができることは全部やろう。前を向いて歩くと決めたのだ。
▼見積もたまっているが、今日を逃すと現時点で次は3月10日まで休むチャンスがないので半日であがって妻とデート。例によってランチには遅いのでお茶にした。この辺では有名なお菓子メーカーが店舗の二階に併設した新業態のカフェ。スタバ系、ルノワール系、ファーストフード系…今やカフェ業界も他の業界と同じく大手資本が展開するチェーン店に駆逐され、いわゆる喫茶店はとっくに壊滅している(あらゆる業種で日本にはもう個人経営という業態は存在しない)が、高級感溢れるコンセプトは敢えて言うなら滝沢系か。

▼僕もそんなに喫茶店を利用した方ではないが、僕が学生の頃の東京にはまだ喫茶店がたくさんあった。僕自身かなり長期間喫茶店でバイトしていたこともある。バブル前にはかろうじて往年の名曲喫茶やジャズ喫茶も残っていた。いろんな飲み屋で悪酔いして店を追い出され、どこにも行く所がないのに下宿に帰る気にもなれない時は、よく「白ばら」の真っ赤なソファで寝たっけな。場末のピンサロのような24時間営業の店だった。当時の喫茶店には昭和というか高度成長期の匂いがした。もう四半世紀も昔のことだ。
▼大学一年の時、全日本国立大大会で上京してきた熊大生を東京案内することになった。田舎者という意味では五十歩百歩だったが、僕は講道館で試合を終えたメンバーを引き連れて「モーツァルト」という喫茶店に入った。ただのブレンドが八百円もした。メニューを見てみんな目を丸くしていたが、内心僕が一番ビックリしていたかもしれない。ひとりが「東京ちゃコーヒーが八百円もするとこな。こげなとこ二度とこんばい」と大きな声で言い放ち、客が全員振り向いたが本人は涼しい顔をしていた。
▼高級喫茶「談話室滝沢」は新宿東口の地下にあった。コーヒー一杯八百円どころか全メニュー一律千円はした。ゆったりとした高級感のあるお店だった。エロ本の編集者をしていた頃、ある作家との打合せで利用した。その作家がその店を指定しなければ、おそらく自分で入ることはなかっただろう。その人は本業はお医者さんで、趣味で官能小説を書いているという話だったが、僕が知らないだけでSMの世界では大御所ということだった。いろんな人がいるもんだ。
▼現在の地方に甦った滝沢風カフェでは僕らと入れ替わりに主婦仲間が出ていき、店内にはイマドキ珍しいシャレ男のおひとりさまと、カップルが一組と、打合せらしい中年男が一組いた。妻は例によって出てきたケーキを写メるのに夢中で最初のうち気づかなかったが、男性二人組のうちの一人がロイホでバイトしてた頃によく来ていた客だという。ちょっとオシャレで金持ちっぽく、帰りにウエイトレスに「今日は店長は?」ときくのを見て確信した。ロイホでもクレームでもないのに意味もなく店長をテーブルに呼んでいたらしい。とにかくシャンベーで夜中に何時間も一方的に話していたそうだ。そう言えば今日の相手もちょっと困った顔をしていたね。
ロイホと滝沢風カフェというのがミソで、ちょっとした高級感のある店で常連ぶる。そういう人は地方ではあまり見かけないが、東京には今もいそうだ。昔の滝沢あたりにはたくさんいた。黄色い靴で外国製自転車を乗りつけたロンゲのおひとりさまもそうだが、こういう人たちが少なくなったことも喫茶店が衰退した原因かもしれない。今の若者には100円マックで勉強するか集団でダベるしか選択肢がない。資本の論理は我々から一人きりで何をするということもなく時間をつぶすという純粋な時間の使い方を、純喫茶という空間ごと奪い去ってしまった。
▼月曜はミートドリアに明太ポテトにレンコンの炒め煮。

火曜はふぐコースの接待。なんだかんだ言ってこのゼネコンチームと飲むのももう四度目だ。今時接待で喜ぶのはこの業界の人間だけである。なおかつ女の子のいる店に行きたがるので金がかかることこの上ない。バブルが弾けて二十年以上たつのにこちらの文化はまだまだ健在だ。

今日のデートのケーキセットは、イチゴのミルフィーユに新作ティラミス。


対するは妻の手作りバナナチョコケーキにシフォンの生クリーム添え。
全くふぐのテッサよりミルフィーユ、キャバクラの女の子よりネイル好きの妻だよ。