女運はいい方だ

ここ二、三日、フリースも股引もいらない陽気だったが、今日は一段と強い風が吹いている。びょうびょうと唸り声をあげ、ガタガタと窓を揺する。夢の中から僕を強引に現実世界に連れ戻す。
▼母の誕生日に実家に電話をかけた晩、また彼女の夢を見た。遠い昔にフラれた彼女のことが、どうしてこんなに気になるのだろう。つきあっていた若いころに毎日想わない日がないというのならわかるが、会えなくなってもう四半世紀になろうかというのに、今もふとした拍子に思い出す。不意打ちのように夢に出る。同じところに立ち戻り、逡巡する。「どうしてだろう?」「何がいけなかったんだろう?」
▼彼女と個人的に会ったのは、春から夏にかけてのことだがら、長い冬を彼女がどんな風に過ごしていたかはわからない。どんなコートを着て出かけ、部屋に戻るとそれを脱ぎ、ストーブをつけ、お茶をわかし、本を読み、やがて風呂に入り、床に就いたのか。もっとも実際に彼女の部屋に行ったことは一度もないのだから、暖かい季節にも彼女がどんな風に過ごしていたかはわからない。全ては想像の世界だ。
▼夢の中の彼女とは、場末のスナックのような場所で会った。何人かのお客を挟んだカウンターの端に立った彼女は、僕の視線に気づくと、話しかけようとする僕を制して席についた。そして僕が知りたくても知ることのできなかった、あれから今日までの彼女の写真が綴じられたアルバムを見せてくれた。そこに写っている彼女は、僕が知っている彼女とは違う人だった。面影はあるものの、似ても似つかぬ別人のようだった。
▼最も違っていたのは目である。写真の彼女は白目が勝って、人形のように表情がなかった。僕が知っている彼女は、くるくるとよく動く黒目が特徴的な娘だった。艶やかに輝く潤んだ瞳は、吸い込まれるような深い色を湛えていた。それは彼女が、僕といる時だけ、僕を見つめる時だけに見せる表情であることを、その時の僕はわからなかった。
▼夢で会った彼女も、夢の写真の中の彼女も幸せなようには見えなかった。それは僕と関係のないところで生きている彼女が幸福であるはずがないと思う、さもしい僕の心情が招きよせたイメージかもしれない。あるいはうまくできなかった彼女に対する僕の罪の意識かもしれない。彼女は僕にとって、人生がままならぬものであることの象徴のような存在である。つまりは僕を真人間たらしめている、躓きの石のようなものだ。
▼若いころはフラれてばかりいたが、彼女をはじめ好きになった女性に悪い印象はひとつもない。地元に戻って塾の先生をしていた時、その塾で一番オシャレな先輩講師から唐突に「オマエの方がオレなんかよりずっといい女に出会ってきてると思うよ」と言われたことがある。その時までまともに女性とつきあったこともない素人童貞の僕だが、そのセリフだけは妙に腑に落ちて、謙遜でも否定する気になれなかった。
▼彼女たちに鍛えられ、知らず知らずのうちに僕は成熟した大人の男になっていたのかもしれない。ほどなく僕はその塾の「最後のはらわた」と言われた事務員と結婚する。

木曜は明太クリームパスタに春キャベツとそらまめのサラダ。

金曜はミートドリアにレンコンとゴボウのサラダ。

そして今日は下の子の練習試合の当番で、強風の中一日頑張った妻のためにいつもの中華屋で外食。