グアムにもアモク

強烈な風は治まったが、ここのところ寒い日が続いている。だがそれも今日まで。明日からぐんぐん気温が上がる予報だ。三寒四温どころか青天井の上り調子だ。こうして春は一気に訪れる。
▼日曜は午前中ひとりで後片付と清掃作業。こう毎週日曜も仕事だと、もはや作業員の方がついてこない。昼前にあがり安全靴を買う。一足履き潰し方式の交換時期は足の臭いがバロメーターだ。家人からクレームが多くなってきたらそろそろ限界である。昼食をとりにいったんうちに戻って普段着に着替え、気分転換して再び事務処理に会社へ。金、土と家族の求めに応じて早めに帰宅した分、月曜締切りの仕事が残ってしまった。
閑話休題。少し前の話題になるが、グアムの繁華街で現地の若者が日本人観光客の列に車ごと突っ込み、返す刀で近くにいる人を手当たり次第ナイフで襲う事件が発生した。米国では銃乱射事件、日本でいえば秋葉原事件が記憶に新しい無差別殺傷事件である。最近執行された三人の死刑囚のうち、金川真大の土浦駅事件もこれにあたる。
▼以前にも書いたが、こういう事件が起こる度にテレビや新聞で様々な解説がなされるのに、どうして「アモク」という言葉が出てこないのか不思議でしょうがない。わざわざ説明する必要もないだろうが、「アモク」とは文化人類学の用語で、ある部落集団で長年に渡り疎外されてきた人間が、その集団の構成員全体を対象に行う無差別の報復行為のことを指す。一言でいえば「逆ギレ」のことだ。
▼これらの事件はまさに「アモク」という語の定義そのものである。一見現代社会に特有の事件に思えるが、実は未開社会にも古くから存在する普遍的な事象である。さらに興味深いことは、この行為が彼らの間で、侮辱された人間が失われた名誉を回復するための唯一の手段として認知されていることである。部落一のダメンズが一夜にして勇者になる。文化人類学的に言いえば、王と道化は表裏のトリックスターなのだ。
▼だが未開社会では村一番のおバカさんが族長の寝首をかくことが可能でも、ヒエラルキーの固定化された現代社会においてアモクを遂行することは、①その場で射殺される。②その場で自殺する。③後で処刑される。の三択以外ない。こうしてアモクは限りなく自爆テロに近い行為となる。しかしそうするしか自分を取り戻す方法がないとすれば、当人にとっては至極大真面目なたった一人の聖戦なのである。
秋葉原事件の犯人が一時期ネット上で負け組の英雄に祭り上げられたように、遺族の神経を逆撫でする犯人擁護を展開するつもりはない。ただこれだけ同種の事件が頻発しているのに、それを一部不満分子の常軌を逸した理解不能な行動としか捉えられないのは、未開社会では暗黙の了解事項であったことが我々に見えなくなっているからかもしれない。それは「人間そこまでコケにされたらキレてもしょうがない」というボーダーラインのことだ。
▼今回の事件が米国でも日本でもなくグアムの若い島民によって起きたことを僕は危惧する。アモクは今後先進国だけでなく世界的な広がりを見せるだろう。その意味では「グアムにもアモク」と「ベトナムにも大和ハウス」は同じことである。

ひな祭はビーンズカレー。

日曜は結局根をつめて20時を回り、むしゃくしゃしたので帰りにシングルモルトをボトル買いした。ボウモアにいきたいところをぐっとガマンして半値以下のグレンマレイにしておく。ツマミに買ったクリームチーズのキューブはあっというまに子供たちにつつかれてなくなってしまった。

月曜は妻特製の角煮チャーハン。添え物のワカメの酢の物とワカメスープもうまい。食卓にも春がやってきたね。