理想と現実

春というよりは初夏の陽気である。こんな日は仕事なんかやめて釣りか潮干狩りか「むしろ四人でキャンプでも行った方がまだマシなわけで。僕だってこんなこと望んでたわけじゃないわけで!」これ、前回のドラマ「最高の離婚」で、離婚して元カノカップルとドロドロの四角関係になりかけたアウトドア嫌いの主人公が、四人で話合いの場を持った時に発した悲痛な叫びである。人はなぜ、結果的に望んでもいない道に進むことを余儀なくされるのか。人生最大の謎である。
▼それはそうと数日前から急に左膝が痛くなり、あれよという間に足があがらなくなってしまった。曲げると激痛が走るので段差はダメ。座るのもツラい。ただ左足を棒のように伸ばしたまま平地をギッコンバッタン歩くだけである。こんなに痛くちゃ野球は無理だ。清原も引退するはずだよ。人は他人の痛みを本当には理解できない。自分も同じ目にあって初めて同情するのである。気持ちだけは若い僕ももう年だ。いろんなところにガタがきている。幸い今週末はめずらしく仕事が立て込んでいない。日曜は久しぶりに丸っと一日休めそうだ。まだ神様いるな。
▼そんなわけで前回に引き続き下の子をネタにこれまた久々の一日二回更新である。僕は忙しくて帰りが遅く、彼は先に寝てしまうので、なかなか勉強を見てやることができないが、朝の短い時間だけでも気をつけていろいろ聞いてみると、少し状況が飲み込めてきた。自己申告によると彼が今一番得意なのは、どんぐりの背比べだが、直近のテストで他の教科より少しだけ点がよかった英語。逆に一番苦手なのは社会だそうだ。社会なんて暗記科目なのにと思いつつ「今何習ってるの?」ときいてみる。
▼「こっちは弓矢でやるけど相手は爆弾で一発でバーンでなるから…」ああ、蒙古襲来絵巻のことだな。彼がその図版をじっと凝視しているところは想像がつく。ちなみに今回50点満点中9点だった社会の答案を見せてもらうと、「下剋上とは何か」という設問の解答に「手紙」と書いてあった。彼の答案はともかく、僕らの頃は「下剋上」という言葉の方を答えさせられていたけどな。他にも「守護と地頭の違いは?」など、うちの子じゃなくてもこれで点をとれというのが難しいんじゃないか。案の定「手紙」はマシな方で、下の子のご学友の中には、線で四角く囲まれた大きな記述式解答欄の空白にマンガの絵を描く子が多いそうである。
▼「詰込教育からの脱却」を掲げ「真の理解力を問う」ために「選択式から記述式へ入試問題の変革」が唱えられたのは今から20年ほど前、ちょうど僕が塾の講師をしていた頃のことだ。当時は若かった僕もその理念に共感し、授業で一生懸命しゃべったものだ。でも力めば力むほど、教室に嫌な空気が充満していくのをどうすることもできなかったな。頭のいい子たちだって、本当の興味は成績アップの方にあって、大昔の話なんかどうだっていいのだ。ましてやBクラスの子はみんな瞳孔が開いていた。
▼「下剋上」という言葉の実際の使い方を、僕ら世代の男子のほとんどは古舘伊知郎のプロレス実況で覚えたのではないか。猪木の正統な後継者たるドラゴン藤波辰巳に公然と反旗を翻した長州力維新軍団。新日を脱退して新たにUWFを立ち上げた前田日明。あの頃ならともかく、「下剋上」という言葉が本当の死語になった今、その意味を問うのは酷というものだろう。
▼歴史に本当に興味があるのなら、自分勝手に山城フィールドワークにでかけたり歴女になればいい。全ての子供たちが例外なく、正統な学校教育によってのみ真の理解力を身につけなければならない謂れはないのだから。そんなものは理想の教育なんかではなく、文科省のお役人の都合にすぎない。僕も頭でっかちな理屈を振りかざすより、ちょっと点が上がったとか下がったとかで一喜一憂する子供たちの気持ちを汲んでやるべきだった。これも自分が子供を持って初めて気づかされることだ。

金曜は山盛り春菊のおひたし、新玉のスライス、アボガド明太、絹揚げの煮物、アイオリソースのポテトサラダと春爛漫のおつまみ全開。

デザートは春を意識したピンクのコーティングの焼き菓子。