もう中学生

ついこの間までの強烈な寒さがウソのような陽気である。一週間前に北海道で9人の命を奪った大寒波が去ると、とたんに股引もフリースも邪魔になる。急激な温度変化についていけない。こんな時「人間は本当に裸のサルだなあ」と実感する。なにはともあれ暖かくなるのはいいことだ。
▼春めいてくると新年度の足音が聞こえてくる。卒業と進学進級シーズンがほとんど同時にやってくる。わが家の下の子も何を感じたのか「もう中2や、信じられん」と言っている。信じられないのはこっちだよ。この子の頭の中がどうなってるのか不思議でしょうがない。ついこの前まで「てにをは」も覚束なかった。
▼例えば「向こうの部屋」という言葉は「指示詞向こう+助詞の+普通名詞部屋」で、「向こう」は他の単語にもくっついて多様な使い方ができる。向こうの机、向こうの川、向こうの国というように。あるいはお友だちのうちにも向こうの部屋はあるだろう。ところが彼はかなり大きくなるまで「ムコウヘヤ」と言っていた。「ムコウヘヤ」は彼の中では「お風呂」とか「台所」と同じ自分の家の中の特定の場所を表す固有名詞だったのだ。
▼例えば物凄く冷え込んだ先日、ホッペを真っ赤に染めて帰ってくるなり、勢い込んで「昨日今日明日土曜日曜…」と繰り返すので少し落ち着かせたが、最後まで意味がわからなかった。長男の通訳によると、「先生が昨日(金曜)の段階では明日(日曜)は休みと言っていたのに、今日(土曜)になって日曜も練習すると言い出した」ことに憤慨しているらしい。
▼「公立に行ってもらわないと困る」という妻のたっての頼みで勉強を見てやることになったが、塾の先生をしていた経験からいうと、こういう子供の成績をあげるのはとても難しい。国語のノートを見ると、ちょうど用言とか体言とか書いてある。おそらく先生が黒板に書いたものを丸写ししているだけでちんぷんかんぷんに違いない。言葉の使い方からしてなってないのに、文法や時制の概念がわかるはずがない。とりあえず「キレイな字で書こう」と言っておいた。わかろうとする気持ちが字に現れるからね。
▼当然のことながら成績は芳しくない。体育だけは◎だがあとは平均以下である。この前のテスト勉強では英語の教科書を読んでいた。「ヒーイズ、イズ、イズ…」としばらく読経が聞こえていたと思ったら、もう眠っている。慣れない勉強をして疲れきったのか、そのうち卒中と見紛うようなきいたことのないイビキをかきはじめて心配した。その甲斐あってか直近のテストでは英語が一番よかったようだ。いつのまにか「オレ英語が一番得意かな」と言いはじめた。彼の一番の美徳は、この素直さだろう。
▼「コップに水を三つ用意して、ひとつには「ありがとう」などいい言葉をかけ続ける。もうひとつには「このバカ」など罵声を浴び続ける。もうひとつは完全に無視する。すると無視した水が最初に腐り、次に罵声を浴びせたものが腐る。野菜づくりもこれと同じです…」ある日学校に招かれた農家のゲストの話を、帰るなり妻に一生懸命話すそうだ。「オレ農家になる。そういう野菜作りたい。その野菜食べてみたい」
▼僕なら「どっかで聞いたような話だ」と斜めに見るところをいちいち感動する。この素直な心があれば人生を豊かにする契機はいたるところに転がっているだろう。

火曜は明太うどんに春キャベツと空豆のサラダ。

水曜はカレーに春菊のおひたし。

木曜は菜の花とベーコンのパスタにアボガドと新玉ねぎのディップ。
季節の料理を作りながら子供たちの話を聞いてやるのが妻の仕事だ。