自負と偏見

昨日は時折小雨がパラつく寒い一日だった。雨が降る前日まで暑いほどの陽気だっただけに、それほど厳しい寒さでもないのに身体が冷えた。
▼そんな朝、下の子が野球のベルトがないないと大騒ぎした挙句、ポツリと「○×公園に忘れたかも」とつぶやいた。忘れたかもじゃなくて忘れただろ。わけのわからない下の子をとりあえず学校に送り出しておいて妻が公園に探しにいくと、前日の雨に打たれて泥にまみれたベルトが、下の子の言ったとおりの場所に抜け殻のように横たわっていたそうだ。
▼下の子は小さい頃からよくこういうことがあった。買ったばかりのグローブからナップサックや弁当箱まで、けして小さくないものを、公園やグランドや河川敷にまるごと忘れてきては翌日よく探しについていってやったものだ。これはいわゆる一般的な忘れ物と同じものなのだろうか。少なくとも我々が何かを忘れるのとは別種の性格を帯びているような気がするが気のせいだろうか。
春雨に泥縄の蛇這い出る
▼左膝の具合がよくない。先週末病院でいただいた薬の効果がテキメンだったので、週初の診察で先生にその通り話すと薬がひとつ減った。するとまた痛みがぶり返した。おそらくそれが痛み止めだったのだろう。レントゲンに異常はなく、血液検査の尿酸値が少し高めだった。先生は「痛風と決まったわけじゃない」と言っていたが、痛風の可能性もあるのだろうか。贅沢病なら節制すればいいが、怖いのは膝そのものの勤続疲労である。
▼加齢により膝の軟骨がすり減ってクッションがなくなる。こうなるとだましだまし歩くしかない。QOLが著しく低下する。なんだか嫌な予感がする。左膝だけ変な音がする。もう一生のつきあいになるかもしれない。最初の診察で先生に「何か心辺りは?」ときかれ、「仕事の都合でここひと月ほど慣れないマニュアル車に乗ってます。あるいはクラッチを踏むせいかと」と答えたが、思い当たる節は別にもある。
▼「膝つき背負い」。危険なかけ逃げ行為とされ、玄人の間ではすこぶる評判が悪く、素人にはなんのことかわからないこの技が、現役当時僕の得意技であった。かけ逃げというのは、相手に押し込まれて投げる意志もないのに苦し紛れにうずくまるように見えること。危険だというのは、体勢が低いため受け手が畳に頭から落ちる可能性があること。
▼しかし当時から一発警告の禁じ手だったこの技で、僕は反則をとられたことも相手が頭から落ちたことも一度もない。最初から膝をつくことが目的ではなく、タイミングよく相手の股の間に自分の身体を沈めようとして、結果的に低い姿勢になるだけのことだ。そして自分で言うのもなんだが、これがよく決まった。100キロを超えるデブもよく転がした。まさに柔道の醍醐味である「柔よく剛を制す」である。払い腰や大外のようにデブが相手に体を預ければすむ簡単な技ではない。なんのことかわからんね。
▼立ったまま投げれればそれにこしたことはないが、相手は人形ではない生きた人間である。正しいとされる立った姿勢のまま、強靭な足腰のバネで投げる方がむしろ力まかせじゃないかという思いはあった。僕の背負いなら力はいらない。てこの原理ですらない。タイミングだけで女子供でも大男を投げることができる。おわかりいただけるだろうか。
▼ひたすら打ち込みだけを繰り返し、僕はこれを自分の型にした。昔の漫画によく出てくる、大木に柔道着を着せて技をかけるアレである。ウソだけど。技のレパートリーとしては左右の背負いに大内小内だけ。例えるならストレートとチェンジアップの緩急だけで勝負するピッチャーのようなものだ。打ちとるのに多彩な球種は必要ない。やっぱりなんのことかわからんね。
▼当時は肘と腰、そして30年の時を経て最も酷使した膝に痛みが出てきた。だがそれもこれも栄光の記憶の代償と思えば安いものだ。塾講師時代の「地獄車(ヘルカー)」とともに、「膝つき背負い」は僕のとっておきの必殺技なのだ。

月曜は絹揚げのおろし煮、菜の花の牛肉巻き、牛蒡と蓮根のツナサラダ。

そしてグレンマレイのお供に絶品のケイクサレ(塩ケーキ)。

火曜は皿うどん(かためん)にさつまいもグラタンにケイクサレの残り。

水曜は焼餃子に蕪酢。

木曜は近年にないチキンの香味焼きに最高の焼き具合のキッシュだったが痛恨の写真撮り忘れ。