どうぶつたちのいるところ

朝から快晴の天気である。数日ぶりに春らしい陽気が戻ってきた。日曜ほどではないにしても、土曜はやはり空気が違う。トイレで朝刊の土曜版を読み、下の子に急かされながら仕事前に部活に送り届ける。いよいよ春めいてきた。
▼今日の日経土曜版は、何でもランキングが図鑑特集、温泉リーポートが千葉は館山、健康コーナーが膝のケアと、まるで僕のために作られたような紙面だ。膝については、ここ数回僕がブログに書いてきた以上の新しい情報はなかった。そういう方面にまるで頓着がない僕でさえ、知らず知らずのうちに知恵をつけられている。それが現代社会だ。巷にいかに「みの流」健康情報が溢れかえっているかがよくわかる。
▼房総半島南端の町館山は、父の仕事の都合で幼稚園と小学校中学年の二度住んでいたことがある。新聞では自衛隊裏の沖ノ島と、地魚をふんだんに使ったお寿司が紹介されていた。寿司の記憶はないが、沖ノ島のことはよく覚えている。幼少期に海に臨む豊かな自然の中で完全に日が沈むまで遊び暮らしたことは、僕の人格形成に大きな影響を及ぼしたに違いない。温暖で寒いうちから花の咲き誇る土地柄だった。どうやら僕は自分で思うほどネクラでも神経質でもないようだ。
▼ちょうど同じ頃、うちにあった動物図鑑、魚貝図鑑、昆虫図鑑を、僕は背表紙がなくなるほど飽かず眺めた。僕の世界観のほとんどの部分は、これらの生物図鑑と偉人伝によって形成されたといっても過言ではない。今では写真が主流かもしれないが、昭和40年代監修の生物図鑑はほぼ100パーイラストだった。手描きとはご丁寧なことだが、考えてみれば全頭横向き同じ条件で写真をとる方が難しいかもしれない。大洋のサメから磯の小魚まで同じサイズで描かれるのだから、図鑑の世界は類稀な平等社会である。
▼朽ちた廃屋の向こうにムササビが飛び、鉄道線路の下にゲジゲジが蠢き、潮だまりにイソギンチャクが躍る生態コミュニティの姿も、一見自然なように見えて実はどこにも存在しない想像上の産物である。それは表面に水草が張り、「落ちたら助からない」と信じられた南房総の未舗装の通学路脇にあった肥溜と同じ幻のようなものだ。
▼昭和40年代当時はまだ、日常のいたるところにそのような遠近感の失われた世界が存在していた。子供たちは夢中になって遊びながら、ふとした拍子に目の前の藪の奥に、大木の洞の中に、砂丘に張られた有刺鉄線の向こうに、冷たい海の水の中に、そのような時空の裂け目を察知して恐れおののいた。それからうちに帰って図鑑を開き、自分たちが生きているところとは違う場所のことを何度も確認した。
▼今、スズメと共に姿を消しつつあるのは、人間以外の生き物が住む世界そのものである。実際に見たことはないが、昔見た図鑑にはのっていた。

金曜はサーモンソテーになんちゃってカニサラダにミネストローネ。

今日は最後の明太パスタにアボガドディップにカボチャサラダ。