東京の二十年

先週は随分寒かったが、今日は春らしい陽気だった。僕はこの土日も出勤して、すっかり慌しい日常に戻ってしまった。東京爆弾紀行も過ぎてみれば夢のようだ。
▼今回のツアーは普通の観光とは少し趣が違うかもしれない。開園三十周年のディズニーランドに行くわけでも、できたばかりのスカイタワーに行くわけでもない。流行に敏感なオシャレ番長の妻が行きたい店をランダムに訪れる旅だ。僕は妻の行きたい場所をきいて、なるべくムダがないように回る場所を振り分けただけである。
▼僕が東京にいた八年の間に、地元の景色が一変したことは前にも書いた。その1985年から1993年という期間は、そのまま日本がバブルに沸いた時期に重なる。これまでもスポットで上京したことは何度かあったが、今回都落ちして以来初めて、つまり二十年ぶりにある程度まとめて東京を回ってみて、バブルがはじけた後も東京は変化し続けていたんだなと改めて思う。
スカイツリーソラマチにはもちろん行ったことはない。同潤会アパート跡の表参道ヒルズも、森ビルが開発した六本木ヒルズも、僕が東京を離れた後にできたものだ。恵比寿ガーデンもなかったと思う。いずれも十年以上のスパンで計画される大規模開発だから、バブル期に計画されて着工し、バブルがはじけた後で完成したというだけのことかもしれない。
▼この4月に完成したばかりの渋谷駅の地下ホーム化は、マスコミが取り上げていた。そうえいえば東横線の改札は以前は2階にあったような気もする。やはり話題になった下北沢駅のあかずの踏切の廃止も、今回小田急線を利用しなかったのでピンとこなかった。代官山に向かう高架には延々と工事フェンスが張られていたが、マスターによると代官山駅も大規模な改修が予定されているらしい。とにかく渋谷駅も下北沢駅も、景気の浮き沈みにかかわらず僕が東京にいた頃からずっと、常に工事中だった。
▼今の会社に入ったばかりの頃、JRの建設関連協力会社の研修旅行で、完成したばかりの品川駅を視察したことがある。確かにきれいなものだったが、一時期青物横丁に住んでいて毎日京浜急行を利用していた僕にも、どこがどう変わったのかはっきりとはわからなかった。それが十年前のことだ。
▼そして最近完成した東京駅舎は、丸の内側に明治時代からの赤レンガの外観を残しての大改修である。学生の頃帰省の都度利用した一周きりの地下食堂街は、巨大なエキチカに変貌し、短時間で全体像を把握するのは困難だ。丸の内の再開発ビル群も、僕には初めての光景だ。ところが八重洲側に回ると、もう巨大な杭打ち機がうなりをあげている。何十年にもわたる開発計画が完了する頃には次の計画が始まり、結果常になにがしかの工事が継続していることになる。
▼地下鉄六本木駅から六本木ヒルズへ向かいながら目の前の構造物に目を凝らす。いったいどうやって作ったんだろう。地表に穿たれた大きな中空をエスカレーターで上っていくと、さらに立体交差で少しズレた場所に、あのホリエモンも住んでいた超高層ビルが聳えている。

できてしまえばみんな当たり前のように利用しているが、大変な工事だと思う。時間もお金もどのくらいかかったのか見当もつかない。
▼渋谷駅で長い地下道を下りてゆき、横浜行きの特急を待つ。遅い時間にもかかわらず物凄い人の数だ。先発する普通列車がその人波をさらっていくが、後から後からいくらでも降りてくる。ひとつの乗降口にすぐに十人以上の列ができる。この狭いホームにひしめき合う何百何千という人が一日に何百回と入れ替わる。
スカイツリー東武鉄道グループの再開発事業だが、こうしたプロジェクトは人間の集積をぬきには考えられない。地底深くに穴を掘り、都心に高層ビルを建設するような最新技術を結集した難工事も、巨額の現金収入があればこそ可能なわけだ。大規模な都市開発は、輸送手段を持ち沿線に広大な土地を所有するJRを含めた鉄道各社の独断場である。規模は違うが地方経済だって、その地方の鉄道グループを中心に回っている。
▼黙っていても人が集まるところに投資が集中し、より魅力的になった施設にさらに人が集まる。それが資本の論理だ。この循環の反対が東北の復興事業ということになる。世界的にみればアフリカの投資開発なんかもそうだろう。元々人がいないところや戻ってくるあてのないところに、いくらお金を投入しても遅々として進まない。地下街や高層ビルどころか、さして難しくもない下水工事も滞り、津波を避ける程度の建物すら建たない。今東北の復興事業が直面していることの本質はそういうことだ。
▼今回気になったのは下北沢の寂れ具合だ。三年前に訪ねた時はうっすらと感じ、昨年末には半信半疑だったものが、今回確信に変わった。通りは薄暗く閑散としている。設計事務所に勤めていた憧れのマドンナが「帰りが遅いから夜の寂しい街には住めない」と言っていた、あの眠らない街シモキタが見る影もない。マスターにきくと「そりゃキミが金髪で飲みに来てた頃が一番にぎやかだったさ」とのこと。上京したての頃は人と熱気で前に進むこともできなかった原宿竹下通りにも同じことを感じた。
▼今や日本は首都東京への一極集中が加速するばかりだ。地方は中核都市でさえ、景気が落ち込めばシャッター通りへと早変わりする。そして同じ東京の中でも投資から取り残される場所がはっきりしてきた。下北沢や原宿のような若者の街が一時の輝きを失ったのは、単純に若者の数が減ってきたということもあるし、若者に経済力がないことの証左でもある。若者文化とか若者のパワーともてはやされていたものが、所詮は資本の論理の中での現象だったとしたら、それは寂しいことだ。