GWへの想い

ここ2、3日肌寒い日が続いたが、GWに入って初夏の陽気が戻ってきた。そよ風が木々の枝を揺らす絶好の行楽日和である。例によって僕は休みなく連休工事。人が休む時に働き、人が働いてる時に働くのが僕の仕事なのだ。
▼だが連休工事でGWがまるまるつぶれるようになったのは昨年あたりからである。(詳しくは過去ログを見てね)例年期初は仕事が薄く4月は開店休業。連休明けからポツポツ予算がつきはじめ工事は夏期連休から。台風養生と復旧をやってるうちにそのまま年末から年度末まで休みなしというのが年間のサイクルだ。
▼一昨年のGWの様子も当ブログで確認できる(過去ログ参照)。震災の影響でお祭りは中止。潮干狩り以外はゴロゴロと寝GWだった。そのアサリ、今年は不漁で観光協会や漁協主催の渡船を使った潮干狩はシーズンを通して中止らしい。そんな高級なものを利用しない無手勝流の僕も、海産物にも果物と同様生り年があることは知っている。
▼震災前は前半仕事、後半お祭りというパターンだったが、一昨年震災で中止になったのを期に、僕は完全にお祭りから足を洗った。ところがこの連休工事の客先の担当者の口からも「震災があってから、もうお祭りもどうでもよくなっちゃって」という言葉が漏れるのをきいてはっとした。直接の被災者でなくても、震災が日本人の心に残した影響には、やはり計り知れないものがある。
▼その東北の復興事業のお手伝いに行ってる同世代の土木屋もGW休みで帰ってきた。子供を連れてうちまでお土産の牛タンを持ってきてくれたのだ。年末以来になる彼は、かなり痩せて髪が伸びていた。ユニフォーム姿でついてきた子供がお父さんといっしょでうれしそうだ。よかったね。彼もジャージ姿でリラックスしている。よかったよかった。
▼GWの旗日は、昭和天皇誕生日、憲法記念日、こどもの日である。ところが「主権回復の日」という式典があることを今回初めて知った。それは沖縄県民にとっては「屈辱の日」にあたるということも初めて知った。沖縄の人たちが国に対して何を憤っているのか正確なところはわからない。それは米軍の落とす金、つまりは国の思いやり予算で食べてきたことに対するコンプレックスなのだろうか。
▼それはこれまでは電源交付金、これからは復興予算で生きていかざるをえない東北の、もっといえば都民の納める税金で食べている地方全てにとって共通の屈辱感なのかもしれない。人はみな、国や政治に期待することの一番に例外なく「景気対策」と答えるほどに露骨なくせに、誰かに食わせてもらっていることを素直に認めたくないほどプライドだけは高いのである。
▼さて、僕にとっての昭和天皇誕生日は柔道の全日本選手権だ。体重別やポイント制などスポーツ化が言われて久しい柔道において「柔よく剛を制す」の本来の柔道精神を体現している現存する唯一の、かつ最も由緒ある大会である。人によってはオリンピックや世界選手権より思い入れのある大会かもしれない。泣き虫穴井が前日に引退を表明し自らの柔道人生最後の舞台としたのも、ベテラン棟田がヤジにも負けず出場し続けるのも、この大会に対する思いの深さ故である。いくらグローバル化の時代とはいえ、我々はなにも魂まで売る必要はないのだ。これは美学の問題である。
▼GWの中休みに合わせるように、明日は天気がくずれそうだ。ヤバイ、雨漏れ修理忘れてたっけ。まあなるようになるさ。ほとんどやけっぱちである。後半のレポートは次回に。

GW初日は絶品カラアゲ、

二日目はナスとトマトのアラビアータ。