想像力と数百円

これ以上ない晴天が続き、気温もうなぎ上りと思いきや、早くも夕方から雨が落ちてきた。週末の雨予報が丸一日早まった。その代わり日曜は晴れそうだ。
▼さて、先日カーラジオをきいていたら、コラムニストの永江朗氏がブックカフェという業態を取り上げていた。簡単に言えば本屋の中にカフェがあるのがブックカフェ。永江氏が例にあげていたのは、改修したばかりの神保町の東京堂書店に、代官山の蔦屋書店。先日の東京紀行で本屋のなのかカフェなのかわからないとレポートしたあの本屋である。僕が住んでいる街の駅ビルに入っている老舗書店も、カフェを併設した改装で大盛況だ。
▼氏は売り手側の事情として「本一冊売るよりコーヒー一杯売った方がよっぽど儲かる」という知り合いの業界人の愚痴を紹介する。そしてネット書店や電子書籍が広く普及した今、物理的に本がたくさんある空間に利用者が求めているのは、リラックスできる空間だと分析する。図書館でできないおしゃべり、居眠り、飲食を解禁すれば、供給側と消費者側双方にとって理想的な空間が出現する。それがブックカフェだ。
▼永江氏の解説はもっともらしいが、僕はまた別の見方をしている。売り場のカフェ併設は、何も本屋に限ったことではない。先日のめざにゅーのちょっとイマドキでは、カフェ併設のおしゃれなアパレルショップを特集していた。今や日本の平均的な階層には、五万円どころか五千円のワンピを買う購買力もない。ユニクロの価格設定がギリギリのところだろう。だが一着五千円のワンピに手が出なくても、一杯五百円のコーヒーなら飲める。一日中ショッピングモールで過ごし、スタバでゆっくり高めのコーヒーを飲めば、買えないまでも買った気にはなれる。
▼これは消費に関するあらゆるジャンルに共通の特徴であり、それは何も今に始まったことではない。かつてデパートがまだ小売の王様だったころ、デパートをうろうろする我々は、そこで何か物を買うわけではなかった。せいぜい盆暮れにお中元お歳暮を買うか、もっぱらデパ地下を利用するのが関の山である。ではあのヴィトンだとかグッチだとかの高級ブランド、時計やバッグや毛皮などの宝飾品は、いったい誰がどうやって買っているのだろう。
▼本当にモノを買う人は、わざわざデパートまで足を運ばない。外商がお伺いに行き、お届けにあがる。我々庶民は最初から手が出ないのを承知で一日中見て回り、疲れて休憩する。ちょっと贅沢して地下で生ジュースを飲み、スイーツを買って帰る。なにしろ貧乏人にはお金はないが、時間だけはたっぷりあるのだ。逆にお金持ちはお金はあるが、忙しくてゆっくり見て回るヒマなどない。それで時間をお金で買うのである。
▼逆説的なことに現代消費社会においては、リアル空間は消費活動を疑似体験するためのバーチャルな空間なのだ。コーヒー一杯五百円は、テーマパークへの入場料だ。大人気社会派ブロガー女史の「格安経済圏」に対抗して、これを「バーチャル経済圏」と名づけよう。ここでは百円マックやすきやの牛丼ははやらない。ここは自分たちに手の届かない高級感を満喫する場所だからだ。

連休明け火曜は煮込みハンバーグにひじきの煮物に新玉いろどりサラダに冷奴。

水曜ヨガカレーの後の木曜はトルティーヤにカルボナーラ

▼明日明後日は長男のバレーの最後の大会。柄にもなくめずらしく「緊張して眠れん」とか言ってる。いつもならとっくに寝ている時間の下の子も、いっしょになって興奮して二人でいつまでもじゃれている。雨で溜った洗濯物を乾燥しに出ていた妻が帰宅すると、ほどなく静かになった。ママがいないと不安で落ち着かなかったのだろうか。まだまだ子供だね。