稲作が富が争いが

連休最終日は気温もかなり上がり、この時期らしい陽気となった。陽射しは強くても、空気がサラッとしているからとても気持ちがいい。午後から風が強くなった。一晩中強かった。それで眠れなかった。連休中にテントを作ったからだ。因果な商売だ。
▼昨日は現場が3時に終わり、夕方妻と買物してうちに戻ると、立て続けに子供たちが合宿から戻ってきた。上の子は山梨に三泊、下の子は四日市に二泊である。この二日、夫婦水入らずを満喫するつもりだったが、二晩とも早々に寝てしまった。子供はどちらかがいないとせいせいするが、二人ともいないとやはりポッカリ穴があいた感じになる。
▼長男は帰るなりさっそく日課の連ドラの録画を見ている。一話15分でも三日分なら45分。長い。しかし高3にもなって女の子に興味のあるそぶりも見せなかった長男も、この朝ドラのヒロインだけは気に入ったようだ。そしてそのことを隠そうともしない。毎朝妻に録画するよう念押ししている。彼は自分の趣味や行動がカッコ悪いとか恥ずかしいという感覚がないので、何かをごまかしたりてらったりすることがない。これは彼の最大の美徳だと思う。
▼僕が子供の頃なんか、小学校低学年の頃から常に好きな女の子がいたもんだ。もちろんセックスにも興味があった。小学校高学年にもなると道に落ちているガビガビになったエロ本を発見したり、野良犬の交尾に出くわすと、興奮を隠しきれなかった。中学になると友人間のエロ本の回し読みは当たり前。途中でページがくっついてはがれなくなっていたり、子だくさんの家の子がエロ本をたくさん持ってたりするのがおかしかった。
▼僕は小、中と割とモテる方だったが、自分が好きになった子とはうまくいかなかった。高校の一年まで同じ中学の好きな子を追いかけていた。僕からすれば不良の自転車の後ろに乗ったりする彼女を「なんであんな奴と」と思ったものだが、彼女からすれば僕なんか子供でお話にもならなかっただろう。中学で既に大人になる彼女たちには、悶々と性欲に悩む青臭い僕らの青春とはまるで別の青春があったのだと、塾の講師としていろんな中学生と接して初めて悟ったものだ。
▼一方下の子は帰るなり「社会教えて」と言う。こんなことを言い出すなんて、きっと連休中に出されていた宿題を全然してないに違いない。「いいよ。どこらへん?」ときくと、黙っている。いつの時代かもわからなければ、日本史と世界史の区別もつかないのだろう。合宿でよっぽど疲れたのか、夕飯を食べるとすぐに寝てしまった。
▼夕飯を食べ終わる頃、チャイムが鳴った。長男の友人である。それも大勢来ている。中学の同級生のグループで、別々の高校に進学した友人たちだ。長男の交遊範囲は驚くほど広い。性格的に全く物怖じしないので、バレーの大会や合宿でも他校の生徒とすぐ友だちになる。これは彼の最大の長所である。
▼妻によると「絶対スマホにメールきてるはずだけど、あの子メール見ないから。たぶん合宿終わったら遊ぶ約束してたんだろうけど、あの子約束もすぐ忘れるのよ。それでうちまで迎えに来たんでしょ」「じゃあ奴はスマホで何してんの」「さあ、ゲームじゃないの」まったくのマイペースである。いつも誰かとつながってないと不安で、四六時中メールの着信が気になって仕方ないケータイ依存の現代の若者像と、彼は似ても似つかない。これは彼の最大の強みである。
▼長男が出ていくと、交代で下の子が起きてくる。無呼吸で眠りが浅く、宿題が気になって眠ってもすぐ目が覚めるのだ。宿題の範囲は天下統一とキリスト教。「これは?」「ここは?」きかれるままに答えながら思うのは、信長秀吉家康といった、学校の勉強以前の基本的な素養が欠けていることだ。これでは苦しい。
▼このあいだ下の子に歴史のサワリを教えた時のこと。まず縄文時代弥生時代のところで「名前が違うくらいだから何か違うだろ。同じなら名前変える必要ないもんな」と言うと、「先生も同じこと言ってた」と言う。小理屈こねていい気になってるのは大人だけで、子供には全然響いてないんだね。反省。
▼気を取り直して「じゃあ生活はどんな風に変わったの?」ときくと「だから稲作が…富が…争いが…」壊れた蓄音機みたいに三つの単語しか出てこない。台所で妻が腹を抱えて笑っている。僕は思わず天を仰いだ。下の子が不憫だ。うちの子は悪くない。悪いのは「稲作が富が争いが」だ。

子供たちにとって久しぶりのママの手料理は鯖の塩焼き、ミネストローネ、たっぷりのオニスラにデザートはフロランタン