永遠の少女〜草間彌生展2D

心地よいそよ風が頬をくすぐる。こんなに気持ちのいい日和もそうめったにあるもんじゃない。今年の連休は中日にちょっと雨が降っただけで、総じて好天に恵まれた。多少寒かったものの、昨日あたりから気温もだいぶ上がってきた。
▼昨日はこの連休中一番仕事が薄かったので、工事は作業員に任せて勝手に休んだ。海岸沿いの国道を、トイレ休憩を挟みながらゆっくり4時間かけて妻と二人で隣市の美術館に向かう。混雑を予想して、高速はもちろんメインのバイパスも避けてわざと遠回りのコースを選んだのだ。途中コンビニで買った柏餅が美味しかった。香りを食材に移すというのは、人間の発明発見で最高のもののうちのひとつだと思う。
▼お目当ては草間彌生展だが、美術館を中心に大学、図書館、運動場が点在する周囲の環境が素晴らしい。桜並木の新緑のトンネルを歩くと、なんともいえない芳香が胸を満たす。この美術館を訪れるのは初めてだが、一番いい時に来た。

犬を連れて散歩する人やカップルが多い。必ずしも草間を観にきた人ばかりではなさそうだ。小さな女の子がポスターに大写しの草間を指さして「あの人恐い」とお母さんに訴えている。子供は正直だ。
▼赤と白の水玉のモチーフに奇抜なファッションで有名な草間彌生を知らない人はいないだろう。「永遠の永遠の永遠」と銘打たれた今回の展示も、僕の知っている草間彌生以上でも以下でもなかった。展示場に通じる階段の登り口に件の大きな看板があり、エントランス前の広場に水玉のキノコのようなオブジェがある。チケットが必要な展示は二階だが、一階に「ヤヨイチャン」という巨大な風船の少女と「魂の灯」という体感ボックスが設置されている。
▼作品は全て約2m□のキャンバスに描かれ、モノクロのものとカラーのものがある。ご承知の通り画面は扁平で、奥行きも陰影もない模様の繰り返しだ。ゲジゲジミトコンドリアやシダ植物のような模様である。色使いはほぼ原色のみ。僕は絵画の心得はないが、エロ本の編集をしていた時は、中間色を使う方が難しかった。鮮やかな原色なら誰でもそれなりにサマになる。
▼線描の人の横顔はコクトーを想起させ、原色に人型の図柄はあるいはマチスの版画のようでもある。だがマチスに顕著な量感が草間には全く感じられない。有名な黄色と黒のカボチャと赤と白の水玉のチューリップのオブジェ。チューリップは岡本太郎を思わせ、カボチャの絵もどこかで見たことがあるような気がする。しかし岡本の作品が立体的に尖がっているのに対し、チューリップは同じ水玉の背景に溶けて埋没している。
▼解説を読んだり聴いたりしていないので定かではないが、展示されている作品は、全て今回の企画のために描き下ろされた印象を受けた。代わりに年表があり、ファッションの写真があり、最近の制作現場の様子を映したビデオが流れていた。そこにはジョージア・オキーフに手紙を書いたとか、単身渡米したとか、両親が死んだという年譜や、ほとんど裸に絵具を塗ったくったようなパフォーマンスや、助手を伴った即興の塗り絵のような制作風景があった。過去の作品は、わずかにこの美術館が所有していたアメリ表現主義風の一枚だけである。
▼どんなに前衛的に見えようとも、この人はこのように奇行の年譜によって語られるタイプのアーティストである。エキセントリックな行動や奇抜なファッションで人目を引くことと、偉大な仕事はまた別のことだ。遠近も濃淡もない作品と同様、彼女には歴史がない。従って過去の作品を並べる必要もない。薄っぺらなガリ版刷りのように、いつでも同じ作品が出てくるだけだ。成熟を経ずして年齢だけを重ねたという意味では、確かに彼女は永遠の少女と言えるかもしれない。これは僕の持論だが、ポップアートは芸術ではなくファッションである。彼女はポップアートの作家だ。彼女は認められて、今正統な扱われ方をしている。
▼下の子も合宿に出かけ、帰りの時間を気にすることなくゆっくり遊んでさすがに疲れた。昨日は帰りにお惣菜を買って簡単に済ませる。

今日はお土産牛タンの残りにアボガドと新タマのスライスブールのせに和風パスタ。