写真と恋と夏の終わり

今朝のめざまし占いは「疲れがピークで何をやってもダメ」と出ていた。昨日早引けしたのに睡魔に負けて読書しなかったのが悪かったかな。
▼着工日なので一応現場に顔を出すも、仮囲い用の鋼材の搬入が終わった時点で引き上げる。船頭が二人いてもしょうがないからね。雨の予報が曇りに変わり、ついには晴れ間がのぞくまでになった。いつまでも暑い。雲の形は夏のものではないが、陽射しは強烈だ。
▼今日は先週大ゲンカして辿り着けなかった山奥のカフェに妻と再チャレンジ。細い山道を一度上って下ったところにある集落は確かに山の中だ。古民家というより農家の納屋といった方がいい。夏の盛りに来てみたかった。脇に小川が流れ、避暑にはもってこいだ。みんなよく知ったもので、山奥にもかかわらず土曜のランチタイムに店内は満席である。
▼入口手前の下屋にちょっとした展示スペースがあって、若い女の子の写真展が開かれていた。写真展といっても10枚ほどだ。ポートレイト7割に静物3割。写真そのものはたいしたことないが、センスのいいタイトルやロケーションのおかげでなかなかサマになっている。
▼すると横に写真家の卵の本人が現れた。可愛らしい女の子である。初めは気づかなかったが、客のうち多くは関係者のようだ。とんでもないおじいさんと山奥に似つかわしくないスーツ姿の細身の女の子。まるで映画「ライク・サムワン・イン・ラブ」の組合せだ。その全てが首からカメラを提げ、時々席を立っては店の周りのスナップを撮っている。
▼展示されている写真のうちの一枚に写っていた男の子が、芳名帳に何か書いている。失礼ながら横目でのぞくと、「刺激を受けた。僕もがんばる」というようなことだ。至極まっとうな青年である。彼も同じ写真学校か何かの生徒なのだろう。他の被写体の人と同じように彼女にモデルを頼まれ、ふたつ返事で引き受けた。きっと彼女のことが好きに違いない。
▼彼女にフラれた秋に、僕も「知り合いを手伝ったからよかったら見にきて」と彼女に言われていた写真展を訪ねた。松濤町のコジャレたアートスペースだった。そこに彼女の姿はなかった。ちょっと迷った末、僕は芳名帳に記帳した。帰りに松濤公園に立ち寄った僕は、その頃毎日そうしていたように、ベンチに座ってまた泣いた。それまで東京で6年暮らして、松濤町に足を踏み入れたことなんて一度もなかった。
▼彼女と彼が店から出ていき、彼女だけが戻ってきた。老人が何か喋っている。細身の女がタバコに火をつけた。まだみんな帰る様子はない。「つきあってるのよ」と妻は言うが、彼氏であればあんなことは書かない。心やさしき青年よ、たとえこの恋は実らなくても、彼女を大切に思う気持ちは必ずや報われる時がくるだろう。
▼川べりにゆったりとした時間が流れている。よく風が通って気持ちがいい。まだ威勢よくツクツクホーシが啼いているが、柿は鮮やかに色づき、道端には栗が落ちている。涼しさが、この場所のせいなのか、この季節のせいなのか判然としない。しかし夏の名残りを惜しむには最高のロケーションだった。