イノセントマン

今日は二週に一度の休みである。ブログの更新間隔が開き気味なのでエントリのたびに休みの報告になり、なんだか休んでばかりのような印象だが、まちがいなく先週は休んでいないはずだ。そして二週間くらいはあっという間に過ぎてしまうのである。
▼今年最後の休みは一日中冷たい雨となった。その冷たい雨を押して、いつものように妻と街までランチデート。看板のないデリカカフェということで目をつけていたところである。

パンと付け合せのビュッフェ形式で、あまり豪華ではなかったが、コーヒーはうまかった。これにパスタがつけば普通のイタリアンビュッフェになり、千五百円前後はするところが約半額。少々貧相だがそんなに食べられるわけでもなく、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
▼わずか一年前に四百三十万票という史上最高得票で東京都知事に就任し、オリンピック招致という世紀の大役を成功させた猪瀬氏が窮地に追い込まれている。いわゆる徳洲会マネーが政界のどこまで食い込んでいるか知らないが、徳田家の野望のターゲットは何も猪瀬氏だけではあるまい。要するに彼は政治家と呼ぶにはあまりにも脇が甘いドシロートだったわけだ。
▼それにしても連日の都議会審議報道には呆れる。カバンに紙の箱の模型が入るとか入らないとか、百万円の帯封か一千万の帯封かなんてどうだっていいじゃん。質問の意図がよくわからない。紙の模型は五千万一束を想定しているの?50束のバラなら真ん中に仕切りがあっても入るんじゃないの?どうでもいいけど。
▼マスコミはまるでお金が汚いもののように騒ぎたてるが、政治活動にお金を使わずに済むとでも本気で思っているのだろうか。政治資金報告書という法律からして間違っているからこんなくだらない些末な議論になる。要するにみんな他人の懐に黙って大金が転がり込むのが面白くないだけなのだ。これが自分の懐なら何の文句もないくせに。全く妬みややっかみほどみっともないものはない。別に猪瀬氏を庇うつもりもないけどね。
▼猪瀬氏といえば、道路公団を初めとする特殊法人と公務員の天下り批判である。僕が週刊文春の連載「ニュースの考古学」や、日本の既得権層に切り込む内容の著作を読んだのは、もう20年も前のことだ。当時まだ世の中の仕組みも知らない学生に毛が生えた程度の僕も、気鋭のジャーナリストの歯切れのいい筆致に胸を躍らせたものだが、内容的には案外記憶にないものなんですよ。
▼僕は猪瀬氏の出世作である「ミカドの肖像」や「卓抜な」と形容のつくダザイ論を読んでいない。内容的には行政のムダなんかよりずっと興味ある分野だが、なぜか手が出なかった。その後ジャーナリストだったはずの彼が、いつの間にか都の副知事になっていて、石原都政の後継者として都知事に就任した時も、特に驚かなかった。
▼その理由は、雑誌か何かで彼がずっと以前から求官活動、あるいは何かのバーターで地位を得るために動いていたことを知っていたからだ。そのことについて、やっぱり猪瀬氏を庇うつもりはないが、「こんな男」呼ばわりしていたその雑文の書き手とはまた別の感想を僕は持っている。それは次のようなものだ。
▼連日議会で、あるいはマスコミに吊し上げられている猪瀬氏は、存外平気なのではないか。それは本当に潔白であるとか、窮地を切り抜ける自信があるとかいうことではなくて、案外楽しんでいるのではないかという意味だ。少なくとも彼は、自ら望んでこの状況に身を置いているはずだ。それは選挙の前日に徳田氏から五千万円を受け取った時よりずっと以前に遡る。
▼猪瀬氏は徳田氏に現金の供与を受けた時、快感すら覚えたのではないか。それは普通の人が想像するように、単に大金を手にしたことの悦びではない。彼は実際に悪いことに手を染めて、初めて自分が生きている実感を得たのだと思う。どんなに過激なことを書こうが、所詮ジャーナリストは安全な外野から物を言う商売にすぎない。ロシアや中国や北朝鮮ならいざ知らず、ここは言論の自由が保証された日本である。いつからか彼は、そんな自分の生業に飽き足らなさを感じていたに違いない。
▼彼はある日、百の正論を言うより実際の場に身を置こうと決めたのだ。どんなに綿密な取材をしようと、キレイゴトを言うのは本質的には簡単なことだからだ。最初は自著で展開しているような理屈を実行しようと勇躍現場に乗り込んだ。そして、世の中がそんなものじゃないことを悟った。その意味では、もし猪瀬氏が副知事として都政を経験せず、ジャーナリストからいきなり知事選に打って出ていたなら、徳田氏の申し出を断っていたかもしれない。
▼彼が五千万円を手にした時に感じた快楽についてもう一度考えてみる。それは世の中を動かしている現場に自分が立ち会っているという実感ではないか。いい悪いは関係ない。かつて責任のない立場から正論だけを唱えていた自分が知らなかった、従ってほとんどの人が一生味わうことのない快感である。政治家とは、その感覚に取り憑かれた人たちのことだ。
▼本当のところはわからない。ただもし僕の想像通りなら猪瀬氏は、今になって鬼のクビでもとったように彼を責めたてあげている都議会議員やマスコミ言論人よりずっとイノセントな人だと思う。そして世の中には彼のような世間知らずを狙う徳洲会グループのような胡散臭い輩がウヨウヨいる。それもこれも含めて世の中は楽しいのだ。

妻が手と足のネールを更新してきた。完全に帰省モードに突入している。