アンチ流行語大賞

火曜の雨を境に空気が変わった。風が強くとても寒い。木曜には各地に大雪が降り、この週末はさらに冷え込むという。確かに今日も寒かった。完全に真冬である。うららかな日々とも来春までお別れだ。
▼さて、新聞に今年の回顧記事が載り、テレビで歌謡特番が増えてくると、そろそろ年末モードである。流行語大賞が発表され、今年を表す漢字一文字が決まる。だがあまりにも忙しくて全然そんな気がしない。師走は誰もが忙しい月ではあるが、とにかくまるで休みが近づいてくる気がしないのだ。
▼今年の流行語大賞は林先生の「今でしょ」あまちゃんの「じぇじぇじぇ」半沢直樹の「倍返しだ!」滝クリの「オモテナシ」の四語同時受賞だった。このうちひとつだけに絞るなら、40%台という紅白並の視聴率を叩き出した半沢直樹の「倍返し」だろう。「今でしょ」は既に旬が過ぎ、「オモテナシ」は逆に遅すぎ、「じぇじぇじぇ」は流行語というにはローカルに過ぎる。
▼今の世相を表すのに「倍返し」ほどピッタリくるものはない。半沢直樹を見て溜飲を下げる人が多いということは、現実社会では、それだけガマンしている人が多いということだ。誰もが顔では笑っていながら心の中では「倍返し」を誓っている。そんな怨嗟と呪詛に満ちた世界が現代社会である。
南アフリカの人種差別政策撤廃に尽力したネルソン・マンデラ元大統領が死去した。彼の信条を一言でいえば「仕返ししない」ことだと木曜すっぴんPの水道橋博士が言っていた。彼は一国のトップに上りつめた後も、自分を27年間牢獄に繋いだ白人社会に報復しようとはしなかった。マンデラの死をきっかけに、世界は忘れていた氏の精神を思い出し正気に戻るのだろうか。それとも際限のない報復合戦に突入していくのだろうか。
イスラエルパレスチナの幾世紀にも渡る聖地争奪戦、9.11テロと米国のイラク侵攻、ボスニアヘルツェゴビナのドロ沼の民族紛争…誰もが親兄弟親類縁者の誰かを失い復讐の鬼と化している。怨念は次代に引き継がれ、永遠に鎮まることはない。しかしどちらかが断腸の思いでやめない限り、報復の連鎖は永遠に続く。マンデラ氏はそのことに気づいた。
▼日本は、これら深刻な宗教戦争や民族対立に縁のない平和で幸福な国なのだろうか。いじめ、虐待、パワハラモラハラ、リベンジポルノ…個々人が心に抱えた怨念を好き勝手に晴らしている怨恨国家である。鬱憤のはけ口は自分より弱い者に向けられる。年間自殺者3万人の経済大国日本も「やられたらやり返す」ではなく「やられてもやり返さない」が流行語になるようでないと、本当にいい国とはいえないだろう。
▼木曜は寒波の中忘年会。数年前まで下請も交えた大宴会だったが、社長が交代して社員だけになった。毎年クリスマスも過ぎて暮れも押し迫る時期の開催だったが、今年は日取もまともになった。そういえば昨年まで来ていた大企業の社長や議員の来訪もなかった。社員報奨のようなバブリーな座興もなくなった。営業的にはどうだか知らないが、やっと普通の忘年会らしくなってきたと思う。
▼現場に来ている監督をねぎらう意味で二次会に誘い例の妖艶なママの店に。一回り下の彼は滔々と生い立ちを語り出す。かなり苛酷な家庭環境に育ったようだ。波乱万丈の仰天人生である。もし僕が学生だったなら、おそらく同情して泣いて朝までいっしょに飲んだだろう。だが不思議と何も感じない。ていうか野郎の個人史なんかに何の興味もない。年をとるにつれ、僕の感覚もまともになってきた。
▼彼にマンデラ氏の話をしてみる。その日の朝聴いた水道橋博士の受け売りを話す僕も僕だが、彼もまた「ガンジーの無抵抗、非暴力、不服従と同じですね」と即座に応える。話が通じるかと思ったら、「僕はやられてもやり返せないようで国や家族を守れるのかと言いたいですね」とネトウヨのようなことを口走る。とにかく立て板に水でよくしゃべる。あまり考えて話すタイプではないようだ。何が彼にこのような思想を植えつけたのだろう。
▼「不幸な家庭環境に育ったからこそ家庭を大事にしたい」という彼が、クリスマスの演出にもこだわるという話から、自然と僕のうちの話になる。うちは妻がイベントを大事にするようなメンドクサイ女じゃないので、子供たちも妻に似てクリスマスも誕生日も欲しいモノを買ってもらう口実でしかない。僕もそれでなんとも思わない。
▼「あなたはどうだったの?」とママに水を向けられ、久しぶりにクリスマスのことを思い出す。両親からのプレゼントとは別に、枕元にサンタからのプレゼントが用意されていたこと。12月になると庭の樅の木を家の中に移して母や弟と飾りつけをしたこと。当時はどの家もイミテーションのツリーが主流で、本物の樅の木はプラスチックの濃いグリーンより色褪せて見え、子供心に不満だったこと…
▼「おぼっちゃんだったの?」とママがからかう。おぼっちゃんかどうか知らないが、大事に育てられたことはわかる。そのことが僕に、彼のように子育てや家庭に対するこだわりをなくすことに与っていると思う。そして僕の子どもたちは、僕たち夫婦の頓着のない愛情を受け、自由にのびのびと育っている。
▼「やり返さない心」が根づくにはとても時間がかかる。不幸な彼は第一世代、そんな彼に大事に育てられる彼の子供たちが、僕と同じ第二世代になるだろう。こだわりのない柔軟な心が根づくには、まずは大事にされることが必要になる。
「さあ、パーティをはじめよう!大きな魚、小さな魚、ダンボール箱

水曜はギョウザ。

木曜忘年会の後の金曜は焼鮭にポークソテー

そして今日はチキンとベビーコーンのクリームパスタ。