1万人、10万PV、ミリオンセラー

厳しい冷え込みもようやく峠を越えたが、朝晩は身震いするような寒さである。大寒だね。正月以来ホントに休むヒマがない。前回エントリーで、休みがないと昼間上映の映画が見れないと書いたが、同じ理由で医者に行けない。奥歯の詰め物がとれたので歯医者と、水虫の薬がきれたので皮膚科に行きたい。もっとも多分に気分転換の意味合いが大きいが。散髪に行くようなものだ。
▼自分は根っからのナマケモノだと思う。やることはいくらでもあるのに1日伸ばしにして隙あらば現場から直帰しようとする。お風呂からあがって夕飯を食べてもまだ子供たちは帰ってこない。定時とはそういう時間だ。子供より先に帰るなんて、普通の大人なら恥ずかしいだろう。それからテレビを見てるうちにあっというまに時間が過ぎてしまう。会社に戻って仕事してたら相当なことができたなといつも後悔する。
▼年が明けていつのまにかベージビューが10万を超えていた。もう一年近くも星がついていないし、1年目で2万、2年目で6万だったことを考えると、3年2か月での10万超えは伸び悩んでいるともいえるが、まあひとつの節目ではある。何度か書いたように、このうち半分は僕自身が訪問したもの。それと父も読んでいるはずなので、実際は3万くらいだが、それでも1日30人くらいの人が訪れてくれていると思うと素直にうれしい。
▼今年はこの数字を文芸誌並にまで持っていきたい。それとも文芸誌なんて軒並み廃刊になって、もう存在しないかもしれない。僕が官能小説誌を作っていた20年前、文芸誌は実売1万部と言われていた。僕の雑誌が実売3万部で採算ベースギリギリだったから、まず採算はとれない数字だ。もちろんエロ本と違って広告収入はある。連載された作品が単行本化する見込もある。(これはポルノも同じ)しかし編集者は二人きりじゃないだろうし、もちろん彼らのサラリーはバイト並じゃないだろう。赤字は必至。もし彼らが今も生き残っているとしたら、いったいどんなカラクリがあるのかな。
▼僕のいた出版社は、エロ本で実売20万部、パチンコで実売30万部というオバケ雑誌をいくつも抱えていた。パチンコ人口3千万。雑誌は人口比1%は売れるといわれる。パチンコ30万部に対し、文芸誌は著名なものでも1万部。ギャンブル人口の多さに比して、いかに文芸人口の裾野が狭いか。一方で村上春樹のように、書けばミリオンセラーの作家もいる。村上春樹の本は文芸ファンのほぼ全員が手にしているか、それともハルキストの多くは他の本を全く読まないかどちらかだ。
▼例年この時期芥川賞直木賞の発表があるが、近年は女性の受賞が目立つ。公正に見て、男女に能力差があるとは思えない。それどころか体力面などごく一部を除けば、むしろ女性の方が圧倒的に優秀な部分が多いだろう。控えめで名誉欲や権力欲から自由で、託された仕事は過不足なくこなす。まさに職人だ。だからこそ体力にモノを言わせて、女性を屈服させるためにふるわれる暴力ほど許し難いものはないのだ。
▼さて、オウム真理教の平田被告の裁判が始まった。証言台に立った中川死刑囚の、「平田被告が捕まってどう思ったか」という質問に対する「また裁判が始まるので死刑が延びるかなと思った」というニュアンスの答えが身につまされた。この人は、自分の命が取り上げられると決まって初めて人の心を取り戻したのだ。彼にとっても、また地下鉄サリンをはじめ多くのオウム被害者にとっても遅すぎたというほかはない。
▼事件から既に20年の歳月を要しているが、未曾有の集団催眠の全容はとっくに明らかだと思う。一言でいってそれは、人間の功名心に根差す。僕の会社は従業員50人のローカルの土建屋だが、そんな吹けば飛ぶような会社でも、社長や創業者であるオーナー、オーナーの子供たちら幹部の威光は絶大である。オウムは信者1万を抱える大集団だ。中川死刑囚をはじめとする教団幹部は、いわば社員1万人の大会社の重役である。絶対権力者の覚えもめでたいとなれば、平常心でいる方が難しいだろう。ましてオウムは宗教である。ある種の万能感が芽生えてなんの不思議もない。
▼どんな人間も、どこかで威張りたいものだ。職場でそれがかなわないなら、町内会やお祭りの役員になりたい。どこでもうだつがあがらなければ、家庭内で暴君になる。オウムの幹部たちも、厳しい修行であらゆる煩悩を断ったつもりで、功名心からだけは自由になれなかった。生まれたからには生きた証を残したい。偉くなりたい。有名になりたい。誰かに威張りたい。影響力を誇示したい。誰もオウムの若者たちと無縁ではない。
▼あの年の冬は阪神大震災に始まり地下鉄サリン事件に終わった。集団的記憶というものがあるとすれば、あの年から、日本人にとって冬は忌まわしいものになったかもしれない。

土曜は豚バラの一本焼きに明太グラタン。

日曜は餃子にミネストローネ。