台湾ラプソディー

如月とは思えぬ陽気である。雨が降るようになった。冬ももう終わりだ。冬は風は強いが雨は降らない。風が弱くなり雨が降り始めたら冬も終わりである。気温も三寒四温というよりは日々波のようにアップダウンが激しい。寒明けも近い。
▼父のブログによると、両親が毎年恒例の一ヶ月のショートステイに出かけたようだ。前回までは出発前に滞留するホテルの連絡先をメールで知らせてきたが、今回はなかった。近頃は電話で話すことも稀である。スマホで気軽にテレビ電話できる時代に、あまり更新頻度の高くないそれぞれのブログの端々にそれぞれの近況を垣間見る程度の交流。以前はそんなことが気になったが今はそうでもない。どんな関係にも正しい形などというものはないのだ。自然体でいい。
▼行先はここ数年タイが多かったが、今年は台湾である。タイの政情不安も関係しているのかもしれない。台湾は僕が訪れたい国のナンバーワンである。一番の理由は、前にも書いたことがあるが、台湾ニューウェ―ブの旗手、侯孝賢監督の代表作「非情城市」が、人生最大の恋愛体験の記憶と分かちがたく結びついているからだ。
▼上京してわりとすぐに、馬場にある「欣葉」という台湾料理店が僕のいきつけになった。いきつけといっても、大事な人と食事をする時に使う程度のことである。その店で僕は、紹興酒は温めて飲むものであること、ザラメではなく干した梅を入れるのが本当であること、それがとても甘いものであることなどを知った。蜜柑と同じで果物は暖かい所で採れるものほど甘いのだという。白く粉を吹いて、干し柿をイメージすればいいだろうか。天日に干され、さらに甘味が増す。沖縄では、この干した甘い梅のお菓子はポピュラーだ。
▼親友の父親が亡くなった時、僕は彼をこの店に連れていった。もちろん彼女との初めてのデートの時もここに連れてきた。それからバイト先の事務員のお姉さんの乳がんの退院祝いにも利用した。姉妹は既に中年だったが、二人とも独身だった。指定したその店に向かいながら、僕はそれが彼女たちとの最後の晩餐になることを半ば予感していた。彼女にフラれた直後、僕の泣き言に夜通しつきあってもらいながら、失恋から立ち直った後にお姉さんからかかってきた電話を少し疎ましく感じたのは事実である。彼女はまだ生きているだろうか。
▼それから親友のボランティア仲間の台湾人と、まだ東京にいる頃と6、7年前の二度会ったことがある。ポリオかなにかで下半身が不自由だったが、車椅子バスケットの選手で見るからに逞しい二の腕をしていた。一度目は2、3人で彼の下宿に行った。彼が何か手料理をふるまってくれた気がする。暑い夏の夜だった。二度目はいっしょに温泉に入り、鰻を食べ、時間の許す限り居酒屋で飲んだ。どういうわけか、二度とも親友はいなかったように思う。
▼会った後すぐは何度か電話やメールでコンタクトがあったような気がするが、じき縁遠くなってしまった。彼は今どうしているだろうか。母国ではかなりいいとこの子弟のようだったが、今頃家族で春節を祝っているのだろうか。いずれにしろ、これで僕と台湾の関わりは全てである。この程度で行ってみたい国ナンバーワンというのもどうかな。
▼人生を素晴らしいものにしてくれるのは、自分とは違う様々な人との交流だけなのに、若い頃はつまらないプライドが邪魔をして人間関係をうまく築くことができなかった。折り返し地点を過ぎて、これまでの人生にたいした不満はないが、それだけが心残りだ。

火曜はポーチドエッグ厚揚げにエシャレット豆腐にかぼちゃシチュー。

それに少し早い手作りバレンタインチョコ。毎日がスペシャルだ。