我が身に照らして

陽射しは強いが空気は涼やかだ。夏の盛りがこの程度ならどんなに楽だろう。
▼先週転んで打った膝を庇って歩いていたら、昨日急に足の甲が痛みだした。膝の痛みどころじゃなく、足を床につくこともできない。一晩たっても痛みは引かず、たまらず病院に行った。一年前マニュアル車に乗って左膝が痛くなった時に行った外科である。すると「膝は膝、甲は甲」で「こっちは痛風で間違いない」という。なんでも親指の付け根というのがミソらしい。
▼それにしても「風が吹いても痛い」とはよく言ったものだ。俗に贅沢病とも言われるが、お医者さんは「薬を飲めば治ります」とだけ言って、食生活や体重のことなど余計なことは一切言わなかった。一年前の左膝の時は、少し高めの尿酸値にもかかわらず「痛風とは限らない」と言い、今度は血液検査の結果も待たず「痛風で間違いない」と断言する。かなり高齢だが、久々に信頼のおける医者に当たった。
▼金曜の午前中に駐車場は空っぽ。待合の患者はお婆さんひとり。看護師は受付がひとり、診察室にひとり。いずれも一年前と同じ中年の女性である。いつから始まったシステムなのか、患者の立場からすれば煩わしいだけの医薬分離もなく、薬はちゃんと会計の際渡してくれる。待合室の壁に、誰が描いたものか油絵が三幅掛けられている。うち一枚は、おそらく何十年も前の開業の際、出身の医局から贈られたものだ。「医局員一同」の文字が旧漢字である。
▼今日はそのままうちに帰って静養した。歩けないのだから仕方がない。あとは昼、夜、明日の朝食後に飲む薬がどれだけ効くかだ。明日は恒例の休日工事で忙しい。ウソのように効いてくれることを祈るしかない。妻はパートかヨガで午前中は常に不在である。隣家の解体工事の音がうるさい。テレビはどこも終わったばかりのW杯日本戦の総括ばかり。ともあれ一次リーグの残る試合が消化試合にならなくてよかった。
▼ヨガから帰宅した妻が洗濯して掃除機をかけて一息ついたところで、ソファに寝転んだ僕がザッピングしていたテレビから妻の好きなユーミンの曲が流れた。「哀しみのルート16」先週のNHK「ドキュメント72h」の再放送だ。今回は横須賀を出発して八王子、春日部、柏と都心の大外を回る国道16号線の移動観測である。実はこれ、僕は先週見たのだが、妻と二人でもう一度見た。
▼八王子の定年したタクシードライバー、狭山の工員、犬を連れた日雇いのホームレス、春日部のバッティングセンターのカップル、年金生活の買い物帰りの主婦、千葉から柏まで歩く元鳶職、沿道の野草を摘む老婆。思い描いたような生活を送れていないらしい終点の初老の男にディレクターが言う。「この沿道の人はわりと自分の人生は幸せだって言う人が多いんですけど」すると男は意外な顔をして言う。「僕はそうは思わない。諦めるっていうと違うかもしれないけど、自分の人生こんなもんだって思って、それを満足って言ってるんだと思う」
▼中2の時からもう4年もつきあって、彼女が高校を出たらいっしょに住むという17才のカップルから、「幸せかなんて考えてるヒマがない」「生きてるから幸せなんでしょう」という32才の工員を経て、20才の時から40年間両親の介護をして自分の家庭は持てなかった79の老婆まで、三日で東京の郊外を一周するこのロケは、現代の平均的な日本人の一生の縮図だ。その終着は、犬と暮らす日雇いのホームレスであれ、「毎日サンデー」の年金生活者であれ、そう大差ない。
▼中2でつきあい始めたカップルの、この先の人生のなんと長いことだろう。まだ17才なのに、僕には彼らが別れる気がしない。彼らはこの郊外で、変化のない日常を過ごしながら、永遠に仲睦まじく、少しずつ年をとってゆく。それは気が遠くなるほど長いけれど、同時にあっという間の人生だ。生活しかない郊外(地方)で、ただ生きていくだけの人生に、人は「幸せ」あるいは「満足」以外の言葉を持たない。これも一種の思考停止だろう。日本人は、みんな考えないようにしている。考え始めると、なんだか惨めになるからだ。

昨日はぶっかけそばにジャガバター。