進化の過程の長い夜

蒸し暑い梅雨曇りの一日である。今日は出勤前のW杯でテンションだだ下がりの人も多かったのではないだろうか。しかし全ての結果が実力を反映しているとして、これほどギリギリまで気をもたせることができたのも、ある意味奇跡的なことである。
▼コロンビアが先発を8人入れ替えてきて(完全に二軍と言ってしまっていいと思う)、試合結果が日本の決勝T進出に影響するもう一方のカードが日本に有利なギリシャリードで迎えた前半ロスタイムに、岡崎が同点ゴールを決めたところまでは最良のシナリオだったわけだが、同時にこれで日本が予選通過できてしまったら、予選で敗退した他の国に申し訳ないという気持ちになったのも事実である。日本はどう贔屓目にみても決勝に残るようなチームじゃなかった。
▼さて、月曜は地方議員のパーティに出かけた。懇親会の前に講演会があり、中央政界から弁士がやってくる。毎度政治家というのは話がうまいなと思う。愚にもつかない話に肉を盛り目鼻をつけて苦もなく仕上げてしまう。応援する人のヨイショも忘れない。終わってみればハテ、何の話だったかな。何も残らない。
▼弁士は講演が終わればそそくさと帰る。新幹線の時間がくるまで懇親会のさわりに顔だけは出すが、周囲を後援会のコアメンバーが取り巻いて、来場者の方に降りてくるわけでもない。来春統一地方選を控えるパーティの主宰者本人だけが、出席者のテーブルを回る。だがみんな会費相応の貧相なオードブルをつつくのに夢中で挨拶もそこそこだ。このような光景が毎年繰り返される。同様の光景が全国で繰り広げられているのだろう。
▼パーティの参加者は、顔を見たことはあるが話をしたことはない程度の人ばかり。似たような会合で顔を合せるだけの関係だ。それともこれは僕の問題だろうか。単に僕が彼らにとって取るに足らない存在だから、歯牙にもかけないだけのことかもしれない。ひとかどの人物になれないにしても、誰にとっても何者でもない人生というのもサミシイものだ。
▼パーティに来ていた人の中で、僕が口をきいたことのある二人のうち、一人と同じテーブルでサンドイッチを二つ三つ頬張りながら世間話をし、途中でもう一人の方と示し合わせて会場を抜け出した。あとは彼の行きたいお店に行って、僕がお金を払うだけだ。毎年恒例の行事である。
▼たいして食べるものがなかったので、居酒屋で軽くつまんでいこうということになるが、単なる時間調整である。時間制の店であろうとなかろうと、女の子を独占した時間だけ、その子のその日の日当分をとられるのは当たり前だ。早く入ればそれだけ高くなる。端的に言って、それは最低でも一人一時間五千円という金額である。
▼ラスト3時までいてお気に入りの娘といっしょに退店したい彼と21時から飲めば、二人で最低6万かかる勘定だ。その日は二軒回って二軒ともボトルが空き、二軒目は二本目も空いて全部で7万3千かかった。僕はほとんど飲んでない。女の子が総がかりであけたのだ。生活がかかっている彼女たちも必死だが、それはこちらも同じである。ここ一、二年で経費が認められるようになるまでは、つきあうのも断るのもたいへんだった。
▼時間調整で入った居酒屋で注文する際、メニューを見ながら僕は思わず「新鮮な刺身をください」と言ってからすぐしまったと思った。案の定店主の顔色が変わった。「新鮮じゃない刺身なんてあるの?それ刺身じゃないでしょ」「すいません、失言でした」と謝ると少し空気がゆるんだが、ついに刺身は出てこなかった。代わりに僕はトマトサラダをたのんだ。
▼それはフレッシュなものを求める気持ちが強すぎるあまり、思わずこぼれたセリフが元で起きたトラブルだった。僕はあまりにも新鮮な空気を欲していた。それくらい息苦しかった。これから始まる長い夜がどのようなものになるか、僕は手にとるように想像できたのである。そして実際その通りの夜になった。
▼僕が二ヶ月に一度程度だからこそ、なんとか窒息せずに帰還できる水槽の中に、彼女たちはずっと沈んでいる。彼女たちの境遇は生まれた時から9割方決まっていて、ほぼ変えようがない。一生水の中だ。陽の目を見ない彼女たちが魚類だとすれば、僕は両生類か。ようやくシッポが引っ込んで丘に這い上がったカエルだ。進化の過程の水際で、このような行きつ戻りつの訓練を、僕はあと幾夜繰り返さねばならないのだろう。早く人間になりたい。

日曜は明太パスタ。月曜は会合。火曜はミートスパに生春巻。