革命と法螺吹き

戸外はいい風が吹いているのに室内は蒸し暑い。湿度が高い。いつ雨が降るかわからない。梅雨らしい気候だ。
▼今日は雨天順延になっていた下の子の野球の初戦。第1シードで二回戦からの登場である。あいにく仕事で観に行けない僕に、妻がメールで逐一報告してくれる。開始9時の試合は一打席目ヒットで出てホームを踏み二回で3-0とあったので、こりゃコールドペースだと思ったら、10時半にはコールドの知らせ。ホントに強豪校だ。特に大きな子もいないのに不思議だ。チーム力としかいいようがない。
▼さて、今朝の日曜版の文化欄のエッセイに懐かしい名前を見つけた。宮内勝典。親友に薦められて読んだのは高校の時だったか、大学に入ってからだったか。けっこうな量(発表されているものはほとんど全て)を読んだ記憶があるが内容は忘れた。これほどきれいさっぱり覚えてないのもめずらしい。なんとなく革命を希求する若い人が主人公の作品だったような気がする。
▼エッセイは文芸復興を唱える自分をシーラカンスと自虐的に捉えるもの。現代社会の拝金主義を中世の教会支配になぞらえ、ルネッサンスに人間復活の希望を重ねるというものだ。宮内さんの頭の中は、善悪二元論に単純化されているようだが、残念ながら現実はもっと複雑だ。文芸衰退の例として自らの著作の売上も1/5になったと書いていたが、それもむべなるかな。世の中は複雑な方がおもしろい。現実世界よりおもしろくないものが売れるわけない。
▼1944年生れとあるから革命戦士ももう70だ。先日亡くなったムッスーと同い年である。もうそのこと自体が若々しい主張や作風とは相容れないものだ。例えるなら老大家(名前が出てこない)が、いい年こいていつまでも男女の性愛について書くのに似ている。日経「私の履歴書」に書かれていた半生も、医者の立場を利用してナースに手をつけちゃあ責任はとらないというとんでもないものだった。全く気分が悪い。
▼話が逸れた。まあ宮内さんは渡辺淳一(思い出した)よりはマシかもしれない。しかしボッティチェリの女神の裸身を「明るい健康美」と賛美し、中世宗教画をひっくるめて「暗く重苦しい」とするのは、永遠の若さを求めるないものねだりというものだ。それは人類の復興を望む心性というより、もう一花咲かせたいというエゴイズムに近いだろう。エゴはよくない。
▼日曜の作業でモチベーションの高い人なんているわけない。少しでも早く帰りたいと思うのが人情だ。15時には切り上げて作業員に駅まで送ってもらった。後部座席に釣竿があったので「釣りやるの?」ときいてみる。「ああ、海釣公園行くよ」と答える。「今何が釣れる?」「カレイやヒラメあがるよ」カレイは冬の魚、ヒラメは陸からじゃ無理だ。「大物は電動ドリルで釣り上げる」「…」たぶん電動リールのことだろう。
▼この人たちは常に自分を大きく見せたいと思っているので、話が大きくなりがちだ。その後駅につくまでに、話は年収が四、五千万あった頃にまで膨らんでいった。あまりに膨らんで破裂してしぼんでしまう前に駅についてよかった。いろんな夢を見ている彼らではあるが、さすがに革命の話はきかない。まあ、あまりおもしろそうな話でないことはたしかだ。
▼17時に友だちのところから帰ってきた下の子をつれて、祝勝会は懸案のステーキガストへ。僕はサーロイン、下の子がエイジング、妻がびんちょうマグロのステーキをチョイス。

それから目が見えにくいというので眼鏡を買ってあげた。少し早い誕生祝いである。スポーツ用がなかったのでスパイダーマン用を買った。口には出さないが喜んでいるのはわかる。まだほんの子供だ。

金曜はカレー。

土曜は和風スパ。そして下の子の雄姿。